富士通の提供した「コンピュートないと」

OASYSで作成していた業務日誌からの抜粋です。
昭和57年(1982年)12月24日に安福専務より話があって、パソコン部隊が来春から計画しているテレビ番組に ワープロも取り上げることになりました。
当時は富士通のパソコンは半導体のグループがやっていた時代で、FM-7をタモリのコマーシャル などで宣伝していた時代です。コマーシャルだけではなく、パソコンの番組を作ろうという計画がパソコン部隊の方であり、 結果として、オアシスも含めて実行するようになったのでした。
番組は1983年の春から始まるもので、最初は時間の枠がとれず深夜の番組でした。 いろいろ打ち合わせたのち、番組の名前は「コンピュートないと」になり、石田晴久先生に講師を お願いすることになりました。

12月29日の議事録です。
偶然、MyOASYSのフロッピに残っていたものを印刷しました。テレビ東京、電通 富士通の合同の打ち合わせでした。
富士通側は、窓口の宣伝部とパソコン(半導体)の部隊とワープロの私でした。
私は、会議の席にマイオアシスを持ち込んで、議事録を作って印刷して、オアシスのデモをしたのでした。

オアシスの企画案表紙です。私がオアシスのことについて、どんな 感じでやりたいかを資料としてだしたものです。
企画意図です。
おもしろさのテーマです。
状況のテーマです。
サンプルです。
これらをみると、当時のオアシスのユーザのようすや、販促意図などがよくわかります。

明けて1月7日の議事録です。
講師の選定、出演者の選定など、具体的な作業の打ち合わせをしました。


台本がいくつか残っています。
昭和58年6月27日放映の台本です。
第13回で、「ワープロのひらく未来」というテーマで、
石井威望さん、菊島隆三さん、大宅映子さんがゲストです。
司会は石田晴久さんです。菊島さんはオアシスのユーザでした。 大和速記の方々が出演して、議事録を直ぐに作るというデモをやりました。
昭和59年9月3日放映の台本です。
第23回で、「思わず興奮環境ビデオ」というテーマで、
出演者リスト です。
司会者は嵐山光三郎さんに変わっています。三遊亭円丈さんがでています。 野地朱真さんはCG関係の講師でした。
私がゲストで、この時に発表した、OASYS-LITEの紹介1OASYS-LITEの紹介2しました。
昭和61年8月10日放映の台本です。
第19回で、「ワープロ本コンテスト」というテーマで、
出演者リストです。
司会は嵐山さん 久和ひとみさんも司会でした。 ゲストは 金子兜太さん 来生えつこさん 南伸坊さん 安西水丸さんといったメンバです。 なんコンギャルというのもいました。
ネット局は全国をカバーしており、放送時間は夕方の6時15分というよい時間に なっていました。
コンピュートないとのTシャツです。
Tシャツの絵を直接スキャンしたものです。