ワープロ・オアシス   ネーミングとCI戦略  雑誌「発明」 1988年3月号 財団法人発明協会 富士通とOASYS  富士通がワープロを商品として、発売するまでにはいろいろの歴史があった。富士 通という会社はもともとは、富士通信機製造株式会社といい電電公社が使う電話交換 機や伝送装置や電話機をなどを製造する会社であった。  そのため、富士通の名前が表に出ることもなく、それらの機器類に製造会社として の銘板に名前が書かれているにすぎなかった。  しかし昭和30年代からコンピュータを手がけることになり、FACOMの商品名 が生まれた。  これはFUJITSU AUTOMATIC COMPUTERの頭文字をとったものである。このあとはコン ピュータ関係は全部FACOMを使用してきた。  富士通のコンピュータのビジネスが順調に伸びるに従いFACOMのブランドネー ムの知名度も順調にあがってきた。しかし、逆に考えればコンピュータというイメー ジが強くなってしまったのも現実である。  昭和55年に発売したワープロ「OASYS」はコンピュータとは全く違った商品 で、富士通のイメージを大きく変えることになった。 ワープロの開発 富士通のワープロ「OASYSシリーズ」は、日本語文章の入力装置としての位置 づけで開発されてきた。 アメリカには100 年の歴史のあるタイプライタがある。これは英語の文章を考えな がら、キーボードを使って文章を打つことができる装置である。アメリカでは契約書 の世界であるから、タイプライタの重要性も大きく、20世紀に入ると普通の事務所に はなくてはならない事務機器として使用されるようになった。 コンピュータが発明されて使われてゆく過程において、タイプライタは人間がコン ピュータと会話する手段としてごく自然に取り入れられるようになったのである。 アメリカで開発されたコンピュータが日本に導入されると最初のうちはコンピュー タでは英語しか扱えなかったので、問題は表面化しなかったが、日本では日本語をコ ンピュータで扱うことが必須であるということが分かってきた。 そこで問題になったのは、タイプライタの日本語版の装置である。昔から使われて いた和文タイプライタを電子化してコンピュータに接続したものがあったが、このよ うな装置では日本語の入力ができるといってもその用途が限定されていた。原稿があ ってそれを見ながら入力するのはなんとか出来るが、原稿が頭のなかにあってそれを キーボードを叩いて原稿にすることはできないことが原因である。 このようなわけで、従来無かった新しい装置を開発する必要があった。 この装置は英語におけるタイプライタのように使える日本語のタイプライタである 必要があった。 我々は昭和52年から開発を始めて、54年の春には機能試作機をビジネスショウに展 示した。これは現在のOASYSの原形でキーボードにより日本語をかな入力して、 それを機械の辞書を使ってかな漢字混じり文に変換してゆく装置である。 最初は日本語電子タイプライタ 最初は英文タイプライタとの対比で日本語タイプライタと呼んでいた。昭和54年の ビジネスショウでの展示では日本語タイプライタだったが、これでは和文タイプライ タとの区別がつかないので、日本語電子タイプライタと呼ぶことにした。 昭和55年5 月7 日富士通は 「日本語電子タイプライタ」としてワープロを発表し た。発表文書に曰く「当社は、このほどオフィスオートメーションの分野での一翼を 担う、新しいビジネス機器「日本語電子タイプライタ」を開発、本日より発売いたし ます。  1980年代はオフィスオートメーションの時代ともいわれております。 当社で は、今後情報産業の中の重要市場として大きく成長するこのオフィスオートメーショ ン分野に、コンピュータとコミュニケーションとで育てた技術力を基盤として、長期 的な視野にたって参入してゆく所存でおりますが、 今回の「日本語電子タイプライ タ」はその第一弾であります。  とあり、当時の富士通が新しいOAの事業分野に取り組む姿勢を表している。  商品名は公募  またこの発表と同時に、商品名を一般公募で決めるということも発表した。新しい 商品であるので、慣例を破って公募にすることにし、公募そのものも商品のキャンペ ーンに使うことにした。ハガキに「商品名」を書いて富士通に送る。締め切りは5月 31日、入選作の発表は6月20日となっていた。  入選作1名にはハワイ旅行(含む日米経営科学研究所対戦入学)または賞金30万 円、記念品500名には国語辞典(応募者全員から抽選)となっていた。  審査委員として、高島屋取締役の石原一子氏 早稲田大学、ビジネスショウ委員長 の黒川順二氏  日本軽金属システム部長の後藤勝忠氏 富士通の小林社長があたる ことになった。  公募からOASYSが生まれるまで  日本語電子タイプライタは5月のビジネスショウに出展されたが、この会場でも公 募の投書箱を作り、名前を考えてもらった。  従来の富士通の商品は交換機や大型コンピュータだったので一般のひとにはおよそ 縁がないものだったが、ワープロは最初から専門家ではなくて一般のひとに使っても らおうというわけで、積極的にビジネス展開を計った。  このビジネスショウでも富士通の展示の中心はOASYSで、12台を展示して、 来場者に直接操作してもらうことにした。こんなことも、現在では当然なのだが、当 時では他社はデモをする女性が打つだげで、来場者には触らせてくれなかったもので ある。  締め切りまでの応募総数は10,449通で、富士通としてはこんなことは初めて であったから、その多さに驚いた。応募者はやはりビジネスマンが圧倒的に多く、あ とは学生、主婦の順であった。  応募された名前の種類は2000種類以上もありあらゆる名前があった。  わりあい多かったのは、 JET(日本語電子タイプライタの英語の頭文字)富士 キーポン サム(親指シフトキーボードから) 大和 といったものであった。  いろいろの名称のなかから慎重に審議して最終的に「OASYS」が決定された。 当時の富士通として、この新しいオフィスオートメーションの商品分野に乗り出すに あたり、ワープロという商品の名前ではなくて、OA全体に使える商品名を付けよう としたのである。  OASYS,OASISオアシスなどの類型にはいる名前の応募は結構多かった。  OASYSは「OA SYSTEM」の省略形であり、また砂漠のオアシスとも同 じカナであるし、オアシスという言葉がよい響きであったからである。  かくして、日本語電子タイプライタは商品名としてOASYS100と正式に決定 した。  当時このOASYSという名前は単にワープロの商品名に止まらず、コンピュータ のFACOMに相当するブランド名として、今後開発するOA製品に対して付けよう 考えていた。  しかし、ワープロの商品名としてのOASYSがあまりにも先行して強くなってし まったため、他のOA商品にはつかないままに現在にいたっている。 OASYSの広告作戦  富士通はコンピュータのメーカーとしてのみ世の中に知られていたので、OASY Sを使って富士通のイメージを変えようと積極的に広告作戦を行った。それまでの富 士通の広告といえば、対象が企業の専門家にかぎられているので、固い一方のもので あったが、OA商品は一般の人かターゲットであるというわけで、宣伝の担当者も精 力的に取り組んだ。 テレビのスポットコマーシャルも富士通としては従来は無かっ たが、OASYS100には木元教子さんを起用して初めてのフイルムを作った。  商品の特異さや新しい販売戦略のために、「こんなことを富士通がやるとは思わな かった。」「信じられない」とかいう良い意味での批評を耳にするようになった。ま た従業員の家族からも、主人の働いている会社がこのような商品を作っている会社だ なというふうに理解をもって貰うことにも大いに役立った。  コンピュータの会社でも日電や日立などは、家電商品があるので、広告も行われて いるし、親しみのある商品もあるが、富士通はそんなものは全然なかったのである。  OASYSの発展  昭和55年にOASYS100を発表して翌年の昭和56年にはOASYS100 Jを発表した。この商品は159万円という安い(?)価格で一般の人が驚いたもの である。当時はワープロはせいぜい和文タイプライタのかわりとして大企業に2〜3 台程度採用されるくらいのものだと一般の人は考えていたものである。  昭和57年には75万円の「Myoasys 」を発表した。この年には100万円を切る 商品が噂されていたなかで、大幅に安くコンパクトな商品がでたのである。  このMyoasys はOASYSの個人版ということでMyoasys という命名になった。や はりOASYS100シリーズとは別のネーミングを考えたのである。  Myoasys は徹底的な広告作戦を行った。キャラクターとして高見山を使って、ゴー ルデンタイムにスポットCMを打った。電車のつりさげ広告や駅バリといわれる駅の 大きなポスクーなども沢山使った。 また当時はワードプロセッサと呼ばれていたワ ープロを「ワープロはMyoasys 」というキャッチフレーズでマスコミに大々的に流し た。  57年春のビジネスショウの会場には「ワープロはマイオアシス」というアドバル ーンを上げた。一度富士通の商品でアドバルーンを上げて見たかったからである。  このため、57年夏以降になると日本でもワープロということばが、日本語として 定着し、社会的にも認知されるようになった。  昭和58年のMyoasys2に続いて、昭和59年にはoasysLite を発表した。これはバ ーソナルワープロの最初である。電池で稼働して、手でさげてどこにでも持ってゆけ るワープロの出現である。  oasysLite の広告には秋吉久美子さんを使用した。わざわざアメリカで写真とCM フイルムを撮影した。これなども富士通としては初めてのことである。  このあともOASYS100シリーズには、色々な姉妹機があり、61年になって 新しくOASYS30シリーズが、パーソロナル機としては oasysLite FROMシリーズが発売されて現在に至っている。 OASYSの知名度  このようなわけで、他社のワープロの商品名とは違ってOA商品全体を表すような 名前のもとに、新しく富士通としてOA商品を拡販してゆく組織づくりも進んだ。O ASYSは販社販売に徹した商品で、 富士通では直接販売をしない特異な商品であ る。これは、従来のコンピュータの販売形態とは全然違った方法で販売しようとした 現れである。 富士通はコンピュータの専門メーカーとして当時知られており、実績もあったが、 その殻を破って粗らしい分野に乗り出し、富士通の企業イメージを変えようとしたの である。  OASYSに採用した「親指シフトキーボード」の優秀さやカナ漢字変換の手法な ど商品としての完成度も高く、僅かの間に圧倒的なマーケットシエアをうるようにな った。  そのため順調にOASYSの知名度が高まった。コンピュータは通常は富士通の営 業から企業の電算室などを経由して最終ユーザに販売されているが、OASYSは、 事務機などの販売会社を通じて、庶務のルートで事務機器として販売されることが多 いので、全然違う分野の人から知られるようになってきた。  コンピュータはシステム商品であるため、採用されるかそうでないかの二者択一に なり、FACOMを使用していないお客様の企業では、富士通からの情報やメッセー ジは全然流れないといううらみがある。その点OASYSは一台の単位で購入される ので、全然取引のなかったお客様からの取引もあるようになった。 コンピュータの競合メーカでもOASYSの優秀性を認めて、沢山使って頂いてい るというようなこともある。 このようにして、全然違うチャンネルから知られるようになったということは、商 品がコンピュータとは違うという意味と共に重要なことであった。 OASYSの名称  当時議論したのはこのオアシスで新しいオフィス文化を作ろうと思ったことである。  ワープロで文書作成をすることを「オアシスする」というふうにならないものか? ということであった。  オアシスのユーザーからはよく「私はオアシスという名前が好きなのです。だから 機械も好きなのです。」というお手紙を頂くことがある。  このように私を含めコンピュータの専門家が開発したけれども、コンピュータらし くない商品づくりに成功したといえる。  オアシスはこののち、OASYS100シリーズとOASYSLiteシリーズ OASYS30シリーズの3つの系統に別れて今日に到っている。  また、データベースシステムのオアシスメイト 教育システムのオアシスドリルなどの派生した名称も沢山できた。  日本語のかな入力のために開発したキーボードはその機構から「親指シフトキーボ ード」と呼んでいるがこれがいつのまにか、オアシスキーボードと俗称されるように なっている。  新聞の求人欄などにワープロの機種が書かれていることがあるが、他社のは大体は 会社名が書かれているのにくらべ、富士通のワープロは必ずといっていいぼど「オア シス」と商品名が書かれていることをみても、オアシスという名称が広く知られてい ることが伺える。  またオアシスの販社の団体としてOASYS販社会というのがある。これらの販社 会は当初はオアシスだけの販社の会合であったが、最近はパソコンやFAXや電話機 などを含んだOA販社会に発展的に改組されて現在に到っている。この意味で富士通 ではOASYSという商品がOA商品全体のリーダシップをとっているといえる。 オアシスレディ  オアシスを販売活動では、機械の説明や教育などに女性が活躍することになる。従 来オフコンや端末装置などの関連ではこのような女性は通常「インストラクター」と 呼んでいるが、もっと仕事の幅を持たせるために「オアシスレディ」という呼び方を 使った。オフコンなどでは、営業担当とインストラクターとが一緒にならないと機械 の説明やデモができなかった。しかし、OASYSは最初からこれらを一人でできる ようにした。OASYSはコンピュータと違い理屈がないので、オアシスレディが営 業の分野で活躍することが多く、女性の仕事の範囲を広げることができた。  一方、ユーザの側でも同様で、コンピュータとは様子がちがう。コンピュータシス テでは端末を操作する女性はオペレータと呼ばれて単に指示された仕事をこなすだけ の職種も多い。しかしOASYSを使う女性は自分の発想でOASYSを道具として 使って仕事をしてゆくことができる。そのため、ユーザのひとにも好かれる機械とな っている。 オアシス文化  このようにして、OASYSはFACOMとは対照的なブランド名として発展して きた。OASYSという言葉ははワープロの名前に止まらず、日本語の入力装置から 新しい事務機器の代名詞として使われるようになってきている。  このような環境をパソコンに移したいという願望のもとに、「FM−OASYS」 という商品がうまれた。これはパソコンの上でOASYSの使い勝手のワープロ環境 を提供するものである。このようにして、ワープロという商品を離れて、他の商品に も影響を与えている。  最近 「親指君」というアスキー製の商品ができた。これはOASYSの親指シ フトキーボードとOASYSのソフトを富士通以外の会社のパソコンの上で実現する パッケージである。これを使用すると他社の機械でOASYSの環境がえられること になる。  このようにして、ワープロから出発したOASYSが富士通の中の他の装置や、他 社の装置にも影響を与えている。 富士通とOASYS  半導体技術の進歩によりこの10年間ではコンピュータ技術が広い分野に広がって きた。OA分野といわれる事務機としてのコンピュータ技術の利用分野も説明を必要 としないくらい当たり前のことになった。  ワープロというOAの基本的な商品にOASYSというブランド名を付けて、ワー プロを広めるとともにOA分野へ積極的にビジネス展開を計ってきた。FACOMと いうコンピュータ商品の発想では考えられなかった商品を提供して、違った分野の顧 客に富士通を理解していただくことができた。  このことは単にワープロの商品の販売ということに止まらず、今後の富士通の進路 に大きな影響を与えた出来事だと思っている。