この資料は雑誌「言語」 1986年 7月号に掲載された論文です。 日本でのコンピュータ利用には日本語が必要なこと、日本語の入力が大切なことを説 き、プログラムも日本語で書くなど、ワープロとコンピュータとの関係について論じ てあります。オアシスのユーザの方には是非読んで頂きたいと思います。 縦書きに印刷するように原稿は作ってあります。 日本語とコンピュータ                                  神田 泰典 まえがき  コンピュータはアメリカで開発されて日本に導入されたものである。コンピュータ は英語を前提としているので、そのままでは日本人にはなじまないものである。しか し、英文タイプライタに対応する日本語のタイプライタともいえるワープロが開発さ れたので、日本語をコンピュータで扱うのも困難ではなくなってきた。  いままで、紙と鉛筆で扱われていた日本語が、コンピュータの上で自由に扱えるこ とになる。日本語がコンピュータという新しい乗物を得て、今後は予想もしなかった 発展が期待できる。 英文タイプライタ  アメリカでコンピュータが現れたときには、すでに英文タイプライタが世の中で広 く使われていた。英文タイプライタはペンで英語を書くかわりに使える便利な機械で あった。  表音記号であるアルファベットを三列に配列した三○個のキーボードに割りふり、 それを人間の八本の指を使って、キーボードを見ることなくあたかも話すように指を 使って打ってゆくのである。  現在の英文タイプライタは約一〇〇年前に発明されたものである。以前は、いろい ろな種類のタイプライタが考案され使用されていた。現在の形のタイプライタが優勢 になってくるのは、今世紀になって、親指以外の八本の指を使って、三〇個のキーを 見ないで打つという「ブラインドタッチ」法が発見されたことによる。 八本の指で 三〇個のキーボードを打つという機構が人間にとってあまりにも優れているために、 現在の英文タイプライタのみが唯一残って使われている。 アメリカでのコンピュータ  コンピュータとは電子計算機といわれるように、電子技術を利用して計算するため に開発されたものである。国勢調査の統計作業のために紙カードに情報をパンチした ものを使ったのが事務計算の始めであり、一九四六年に完成した弾道の計算用に作ら れたENIACというコンピュータが科学計算では最初とされている。  人間の不得意とする計算を正確に迅速にやってくれるコンピュータが、やがて人間 のことばの分野まで扱うようになってきた。  コンピュータに人間が指示をするのに、当初は数字を使っていた。しかし人間にと ってはことばのほうが都合が良いので、英語で指示をするようになった。このように してコンピュータのプログラムは英語で書くようになったのである。  アメリカではタイプライタがすでに世の中で広く使われており、コンピュータへの 英語の入力の要求にこたえるために、自然にタイプライタがコンピュータに接続され るようになった。  タイプライタは非常に良くできた装置で、英語を手で喋ることができる機械である。 人間の音声を理解できないコンピュータに人間の意志を伝えるために、タイプライタ がコンピュータとの会話の手段として使用されるようになった。  アメリカ人はタイプライタを日常業務で使っているので、コンピュータのキーボー ドに違和感は少なく、英語とコンピュータの結びつきは非常にうまくいっている。 日本のコンピュータ  一九六〇年頃からコンピュータは日本に導入されるようになり、一九七〇年頃にな ると国産のコンピュータも生産されて国内でも盛んに使用されるようになった。  コンピュータの優れた能力を日本でも活用するのを急ぐあまり、アメリカで使用さ れている状態をそのまま日本で再現することから始まった。科学技術計算においては、 特に日本語の情報を扱う必要がなく、専門家が英語でプログラムを作り、数値情報を 処理することに問題はなかった。  給料計算や在庫管理のような業務では、人名や商品名の日本語をカタカナで扱える ように改良された。  コンピュータを使うには、日本語をカタカナで書くのが当然であるという風潮も生 まれた。今日では、コンピュータから出力される宛名は、カタカナで書いてあっても、 特に不思議にも思わないようになっている。  しかし、一九八〇年を境にして、コンピュータにも日本語化の波が訪れた。  皮肉なことだが、コンピュータで最初に漢字が使われるようになったのは、オフコ ンの世界である。オフコンは小規模の事業所で簡単な事務処理をするのに発達した事 務用コンピュータである。  オフコンは一般の人が直接使ったので、漢字で書かれた伝票を表示したり印刷した りすることが、当然のこととして強く要求されたのである。  その後、大型のコンピュータでも日本語が扱えるようになり、コンピュータの専門 家たちにも、日本語で表示したり、出力したりすることがいかに大切かということが、 分かるようになった。 ワープロの出現  日本語ワードプロセッサの最初の商品が出たのは、一九七八年であるが、ワープロ ということばで市民権を得て一般に広まったのは一九八二年以降のことである。  アメリカでは、タイプライタの上位概念としてワードプロセッサが開発された。タ イプライタでは単にキーボードをたたいて文字を印字するだけであるが、ワードプロ セッサはコンピュータの付いたタイプライタで、英語が処理できる装置としてオフィ スで使われるようになった。  英文のワードプロセッサの日本語版という形で、日本語ワードプロセッサの開発が スタートしたので、ワープロという名前になってしまっているが、日本語においても まず必要だったのは、日本語が扱えるタイプライタであった。  ワープロの開発が進み、一九八四年ころからパーソナルワープロが現れた。これが ちょうど英文タイプライタの日本語版に当たるものであるといえる。  パーソナルワープロの出現で、日本語の世界にもタイプライタを持ちえたといえる ので、今後はアメリカの歴史に似た経過をたどって、コンピュータと結びついてゆく ことになるだろう。  これまでの紙と鉛筆の時代から、電子的な筆記用具の時代に突入することになった。 実にワープロの出現は日本の文化史に残る大きな出来事である。 コンピュータでの日本語の扱い  日本語を表すのに、われわれはカナ漢字まじり文を使用している。二六種類のアル ファベットを使用している英語に比べると、コンピュータでの日本語の扱いは、沢山 の漢字を使用しているので技術的に大変であった。  漢字をコンピュータで扱うのには、まず漢字のコードを決める必要があった。  さいわい、一九七八年にJIS(JIS C 6226)によってこれらの漢字の コードが一義的に決まった。JISでは、カナなどの非漢字の他に、日常よく使われ る漢字を第一水準の漢字として二九六五文字選び、代表的な音訓の順に並べた。また あまり使わないが必要な漢字を第二水準として三三八四文字選び、部首順に並べた。 このようにして数万もあるといわれる漢字のなかから六三四九文字を選びそのコード を決めた。  当用/常用漢字の選定に長い年月がかかったのにくらべて、このJISの漢字の選 定作業は短期間に終了した。  手書きならどんな文字でも書けるので、常用漢字の強制力は弱いと考えられるのに 対して、JISでコード化しなかった漢字は通常のコンピュータやワープロでは、扱 わないという意味では強い強制力になっており、このJISによる標準化は日本語の 将来に大きな影響をあたえるものである。  コンピュータの機能は、入力と処理と出力の三つに分けることができる。処理と出 力については、半導体技術をはじめとするテクノロジの進歩によって次第に困難さが 克服されてきた。  漢字をブラウン管に表示したり、紙に印刷したりすることは以前は大変であったが、 現在では技術の進歩により、そんなに大変ではなくなった。  このような訳で、コンピュータの利用は技術の延長線上で解決できる日本語の処理 と出力を中心にして発達してきた。現在でも大型コンピュータでの日本語情報処理と いえば、処理と出力が中心になっている。 日本語の入力方法  日本語の入力とは、日本人が考えた日本語の文章を、コンピュータに渡すことであ る。日本語の出力や処理が装置の経済性だけで論ずれば良いのにくらべて、入力はそ れを使う日本人の使い勝手が非常に大きな要素を占めるということで、違った技術分 野であった。  カナ漢字まじり文からなる日本語をコンピュータに入力するには色々な方法が試み られてきた。  現在ではキーボードによるカナ漢字変換が最良の方法だということに異論をとなえ る人は少ないだろうが、ここまで一度に来たわけではない。  最初に、有力視されていたのは、和文タイプライタの原理を使う方法である。和文 タイプライタは大正時代から日本で使われており、公式文書の清書には欠くことの出 来ない装置であった。  和文タイプ方式は、書かれた文章を見てことばとして入力するのではなく、文字列 として漢字を一文字ずつ選択して入力する装置である。  ことばを頭の中に浮かべながら漢字を一文字ずつ独立に選択して入力することは難 しい。従って、和文タイプライタは清書のためだけに使われてきた。英文タイプライ タが、創作にも使われているのと、好対照をなすものである。 カナ漢字変換による入力  カナ漢字変換による入力とは、日本語ということばを、その表音記号であるカナで 入力して、ことばの単位で機械の辞書を使って変換して、結果としてカナ漢字まじり 文を得る方法である。  今までこのような方法は、使われていなかってので、最初はとまどいも多かった。 日本人が慣れないキーボードを使ってカナを打つことができるかということと、それ にもましてカナ漢字まじり文にそんなにうまく変換できるかという素朴な疑問があっ た。  日本語の表記はカナ漢字まじり文を使用している。この中で漢字は意味を表すもの として使われている。漢字の読み方に音読み・訓読みがあり、ひとつの漢字に多様な 読み方を許しているという特色がある。例えば、行動、行脚、行列、行く、行う、の ようなものである。  このため、日本語の入力を漢字という文字の入力として考えるとかなり困難である。 しかし、日本語をことばとして入力して、機械に持っている辞書で漢字を得るという カナ漢字変換の方法は、文章を考えながら入力するのに適しており、広く使われるこ とになった。  カナの入力に適した親指シフトキーボードのようなものも出てきたし、単語登録機 能などの工夫により、英文タイプライタのような使い勝手で日本語が自由に入力でき るようになった。  まだ短い歴史しかないが、ワープロは文章の作成に使えるということが広く知られ るようになった。 コンピュータと日本人  コンピュータは日本人に非常に取っつきにくいものと思われている。これはコンピ ュータと会話するのに、英語を強制してきたのに、大きな理由があると考えられる。  ワープロの出現によって、日本語の情報をコンピューに入力することには問題がな くなった。そこで残っている問題はコンピュータと会話するのに日本語を使うことで ある。  アメリカではコンピュータに指示するためのプログラムには、当然のことながら英 語が使われている。日本では、プログラムを日本語で書くのには、まだ、ためらいが ある。  しかし、日本人がプログラムを日本語で書くようになるのは時間の問題であろう。 お芝居や運動会のプログラムが日本語で書いてあって、コンピュータのプログラムだ けが英語の方が良い理由はないのである。  日本では実績の少ないソフトウェアの分野でも、日本語の表現力でプログラムが書 けるようになれば、今後は大きな成果が期待できる。 日本語とプログラム  事務用で広範囲に使用されているプログラム言語にCOBOLというものがある。 これはアメリカでユーザー団体が、一般の人に分かりやすいようにと作ったコンピュ ータ言語である。しかし、日本で学ぶひとは英和辞書片手に勉強しなければならない。  COBOLはJISで標準化されているが、残念ながら英語できめられている。日 本の規格が英語で決められているのはコンピュータ以外にはあまりないのではないだ ろうか。  特にCOBOLは、一般の人に分かりやすいように自然の英語に近づけてあるので、 英語を話さない日本人にはかえって難しい。  パソコンの流行に従って、BASICも日本で盛んに使われている。COBOLと はちがって本当の素人も勉強するものであるが、このBASICも英語である。  BASICでプログラムを実行させるのに「RUN」という指令を使うが、これを 「ルン」と読むひとがいるという話を聞いて、私は「ルン」の方が正しいと悟った。 日本語のCOBOL・BASIC  われわれはこのCOBOLやBASICのプログラムを日本語で書く試みをしてい る。  COBOLやBASICの文法は変えないで、使われている単語を日本語でも使え るようにするわけである。これだけでも、プログラムを見て受ける印象は随分違う。  プログラムの役割には、コンピュータへの指示と、プログラムの内容を人間が理解 するための資料の二つがある。  コンピュータへの指示のためには、どんなプログラム言語でもよい。なぜなら、最 終的には機械語に翻訳してコンピュータに実行させているからである。  しかし、人間が見るための資料としてのプログラムは、日本人には日本語であるの が一番よいのは、当然である。 日本語で書いたプログラムの例  日本人が見るための資料とコンピュータへの指示が一致するのが理想である。その 一つの例として「MIND」* という日本語の文法に近い書き方をするプログラム言 語で書かれたプログラムの例を紹介しよう。            〜〜〜〜〜〜〜〜閏年?とは4での 余りが ゼロ? なら ば 「閏年である」を 表示し、さもなければ 「閏年ではない」を 表示し、つぎ に おわり。 メインとは 1986年が 閏年?。            〜〜〜〜〜〜〜〜  このプログラムは二つの文章からなる。最初の文章は閏年を判定するサブルーチン であり、次の文章は一九八六年が閏年かを調べる主プログラムである。このプログラ ムを実行させると、ちゃんと「閏年ではない」と表示される。 コンピュータの夢  日本人は中国から漢字を学んで、自分でカナを考案し、カナ漢字まじり文を使って いる。  コンピュータは知的なエンジンである。いままでは、エンジンなしで、紙と鉛筆だ けで扱ってきた日本語の情報を、どのようにうまく活用してゆくかが今後の課題であ り、コンピュータに日本語がのることは大きな意味がある。  英語という草原では英文タイプライタという自転車は使えたが、日本語という森林 では自転車はうまく使えなかった。  しかし、コンピュータというエンジンのついたバイク(パーソナルワープロ)や乗 用車(ワープロ)が現れた。これなら、日本の環境でも使えるので、いま、盛んに乗 りまわすようになってきている。  まわりで見ていた人も、冷やかし半分であったのが、自分でも乗ってみようという 気になってきた。歩いた方が良いとがんばっている人も普及が進めば、使わないと損 をすることに気が付くだろう。  乗用車を乗りこなせば、それだけでも便利なことはもちろんである。しかし、今後 はエンジンの馬力もどんどん大きくなるので、乗用車だと思っていた乗物が、空も飛 べるし、海も渡れるようになるだろう。  自動車の運転に慣れておけば、同じ操縦装置(マンマシンインターフェイス)で、 もっと大きな乗物(宇宙船?)も運転できるようになるのかもしれない。  第五世代コンピュータだとか、人工知能だとかいわれているものは多分こんなもの だろうし、どんなに素晴らしいものだといっても、日本人が使う以上は、日本語で扱 えるということが基本的な要素であることは確かである。 〔参考書〕神田泰典 『コンピュータ「知的道具」考』                 日本放送出版協会 昭和60 * MINDは潟潟Mーコーポレーションと潟}イクロソフト   ウェアアソシエイツの共同開発製品である。           (かんだやすのり  コンピュータ技師)