「日本語ワープロ開発を振り返って」 the development of the Japanese Wordprocessor 神田泰典     Yasunori Kanda    正員 富士通株式会社 常務理事       基盤システム事業本部技師長     FUJITSU LIMITED ENGINEER IN CHIEF PERSONAL & OFFICE SYSTEMS GROUP ワープロの現状  いまやワープロは日本人なら誰も知らない人 はいないくらいに普及している。年間の販売台 数は300万台程もあり、パソコンとは違って 老若男女に幅広く使われているのが現状である 。  ワープロはオフィスで業務用として手紙や報 告書を作成するのに使われる一方、個人的な用 途にも使われている。金額も一式300万円も するものから、数万円のものまでいろいろな種 類がある。新聞記者や作家はワープロで原稿を 作っているし、学生も卒業論文を作るのに使う ようになっている。  手紙を電子メールとして送ったり、電子会議 室の機能を使ってネットワークの上での議論も 行われるようになった。 10年前の状況 *1  当時は漢字を含む日本語情報はコンピュータ では扱うことが出来なかった。印刷業界などで 使う専用の漢字処理システムはあったが、高価 で一般の人には無縁であった。コンピュータで は英語とカタカナしか使うことが出来ず、注文 伝票や顧客情報などもすべてカタカナで処理さ れていた。米国で開発されたコンピュータが日 本に入ってきて、それを使いこなすのに精一杯 の時代であった。  しかし、日本でコンピュータを利用するため には日本語が扱えることが必須条件であること が、一般に認識されるようになってきた。漢字 のJISコードが1978年に制定されたこと も大きな力となり、1980年ころからオフコ ンや大型コンピュータシステムで、日本語を扱 えるシステムが各社から発表された。しかし、 EDP処理では数値処理が主であり、在庫管理 や給料計算でも、人名や品名はコード番号で扱 われおり、結果として出力されるディスプレイ やプリンタに日本語として表示されるというの が普通の使い方であった。  従って日本語の入力とは、品名や氏名などを 入力するのが殆どで、専門のオペレータが専用 の装置を使って入力していた。数千文字の漢字 を鍵盤上に並べてそれを選択する方法(ペンタ ッチ方式とか漢字選択方式とか呼ばれていた) と新聞社などで使われている多段シフトという 漢字選択の方法が使われていた。どちらも原稿 を見て、漢字を一文字ずつ選択して入力する漢 字の入力方法である。  この方法は英文タイプライタとは根本的に違 っており、考えて文章を作りながら入力すると か、人の会話を聴いてそれを入力することは出 来ないものだった。 ワープロの発想  一方米国では、100年以上のタイプライタ の歴史があり、オフィスで広く使われている。 タイプライタは、3×10のキーボードを使っ て、8本の指でキーボードを見ないで、考えな がら英語の文章を手で話をするように、文章を 作ることができる。清書に使えるのは勿論だが 、文章の創作に使えるというところに特徴があ り、作家や新聞記者もタイプライタを使ってい る。  コンピュータの開発に伴い、タイプライタが コンピュータの入力装置として接続され、米国 では人間がコンピュータに指示を与えるのにタ イプライタ経由でコマンドを入力したり、プロ グラムを入力したりしている。  日本には日本語を扱えるタイプライタのよう な装置がなかった。和文タイプライタが存在し たが、日本語の文章を作成する装置ではなかっ た。  一方、日本でも古くからカナタイブを使って カナで文章を作るということが行われてきた。 漢字が書けないという欠点はあるが、文章を考 えながら作成することができる。この発想とか な漢字変換技術とが結びついたのが、今日のワ ープロである。  話し言葉をキーボードでかなの形で入力して 、機械の持っている辞書を使って漢字かな混じ りの書き言葉に変換しながら、日本語の文章を 入力する方法で、この10年のテクノロジの進 歩に支えられて、今日のワープロ文化の花を咲 かせた。  1980年当時のワープロは二つの入力方式 があり、メーカ別にペンタッチ方式3社、かな 漢字変換方式2社があった。従来から使われて 料を見るとどちらが良いかということが真面目 に議論されているが、2年も経ないうちに結論 が出てしまったのは興味深いことである。  和文タイプライタを製造していたメーカもそ れまでは数社あったが、全部なくなってしまっ た。また、商業高校でも教えなくなったし、昔 から続いていた検定も無くなり、ワープロに取 って変わってしまった。  かな漢字変換入力のためには、キーボードで かなを入力することが必要である。現在では、 かな入力とローマ字入力の両方が使われている 。かな入力では、JISキーボードが使われて いるほか、富士通が開発した親指シフトキーボ ードも広く使われるようになっている。JIS キーボードは指の守備範囲が英文タイプライタ よりもひろく、タッチタイプに難があるといわ れている。親指シフトキーボードは親指との同 時打鍵で実効的に3×30個キーを使うことが でき、タッチタイプがやりやすいという特徴が ある。  ローマ字入力はコンピュータを英語で使って いることもあり、関係者を中心に広く使われて いる。しかしワープロに向かうときだけ、ロー マ字を使うというのでは不自然だし、タッチ数 が多くなるので速度に難点がある。 ワープロの今後  ずっと伸びてきたワープロの販売台数も近年 は頭打ちだということで、需要は一巡したとい う意見もある。しかし、私は普及はまだまだこ れからだと思っている。  特に今後はコード化された日本語の文書が、 通信技術によってネットワークの形態で利用さ れる方向に向かうであろう。公衆ネットワーク によるサービス(いわゆるパソコン通信)を利 用した電子メールや電子会議室のようなものは いま猛烈に伸びている。これらの情報通信サー ビスを受けるためには、ワープロを使うのが自 然である。手紙を作るためにワープロを使って きたのだが、それなら電子メールで送ってしま えばよいという理屈である。また紙に代わる新 しい媒体としてCD-ROMによる電子出版も始まっ ている。これを利用するのにもワープロが最有 力である。  教育の分野にもパソコンが導入されてきてい るが、普通パソコンはワープロとして使われて いる現状からして、文房具としてノートと鉛筆 のかわりにワープロを使うところまでゆくだろ う。  日本ではプログラムを英語で書いているのだ が、これも考えてみればおかしなことである。 日本人は日本語でプログラムを書かないと効率 もあがらないし、よいプログラムもできないと 思っている。ワープロで人に手紙を書くのと同 じように、コンピュータに日本語で手紙を書け ば、それがプログラムになるのが理想である。 *2 ワープロ出現の意義 中国で発明された漢字を習得した日本人は、 表音文字のかなと表意文字の漢字を組み合わせ て、日本語を書いてきた。  過去には漢字は能率が悪いから、漢字を廃し てローマ字やかなで日本語を記述する方向に行 くべきだという議論があった。有力な論拠とし て、漢字はコンピュータには向かないというこ とであった。もし日本人が漢字かコンピュータ かの二者択一を迫られれば、確実にコンピュー タを選んで漢字を捨てていただろうと想像され る。  漢字は紙というテクノロジによって、現在に まで生き延びてきたのだが、今コンピュータの テクノロジを得て、また末永く生き延びること となった。このようにワープロの出現は世界の 文化史に残る大きな出来事だといえる。現場に 立ち会えたことは技術者として非常に幸福なこ ュータで使われるかもしれないのである。 技術者を目指す学生の方々へ  日本人が考えながらキーボードでかなを打ち 込み、変換をしながら文章を作ってゆく過程は 脳で行われている現象で、工場の組立現場や化 学反応プロセスとは全く違ったものである。 テクノロジの発展によって、ワープロのよう に脳の情報処理過程に介入するような機器が出 現してきた。本来、脳の現象を扱っているのは 言語学や心理学の分野であるが、急速なテクノ ロジの発展に対応するにはそれに相応しい新し い研究も必要だと思う。 私は工学部の出身で、心理学や言語学は学校 では勉強しなかったが、ワープロの開発の中で 随分勉強して、開発の方向を決めるのに役立っ てきた。  最近ヒューマンインタフェースの分野が関心 をよんでいるが、これらは脳の中の情報処理過 程がテーマで、テクノロジの分野から迫っても 解決は得られない。理科系の方々も、文科系の 勉強をされるように希望する。まず人間を研究 することから始まるということを強調したい。  コンピュータの分野は米国が進んでいて、日 本はそれを真似ていると思っている人も多い。 しかし、我々は違った文化的背景を持っており 、漢字の利用やワープロの出現のように今後は 世界に影響を与えてゆくようなものもあると思 う。単なる真似や努力だけでは、今日の日本の 技術発展は達成されなかったと思うからである 。 *1 オフィスオートメーション技術 神田泰典 電子通信学会誌 1981年2月 135頁 *2 日本におけるソフトウェア  神田泰典 電子通信学会誌 1978年9月 929頁