「人とコンピュータをつなぐために」 日本語ワードプロセッサの技術を考える・・ 雑誌「ニュートン」の1986年7月号に掲載されたもので、オアシスの開発の経緯を 平易に書いてあります。 人とコンピュータをつなぐために    雑誌「ニュートン」61年7月号34頁より   神田 泰典 ☆人間の知的生産を援助する装置  人間の生産活動は手足によって行われる物理的な生産活動と脳の働きによって行わ れている知的生産活動に大別される。物理的な活動については産業革命以来、種々の 機械を使ってその活動を援助する装置が発達してきた。工場で使われている機械類や 自動車などはその典型的なものである。  一方、 半導体技術の目覚ましい進歩でコンピュータ技術が発達し、知的生産を援 助する装置が今後発展することになろう。 ☆コンピュータの一般化  専門家が使うコンピュータは、機械の効率が中心に考えられて来ているが、一般の 人の使うものは、機械の効率というよりも、使いやすいことが大切である。 同じ自 動車でも、ダンプカーは砂利を運搬する効率に重点がおかれているが、乗用車では人 を運搬する効率よりも、運転しやすく、乗って楽しいものが要求されている。  このようなわけで、今後のコンピュータを利用した機器は、一般の人の使いやすさ が非常に重要になる。  使いやすさは機械と人間とのインターフェィス(接点)をどのように設計するかに かかっている。 ☆言葉と文字情報  人間は自分の考えを人に伝えるのに言葉を使っている。また、言葉を記録するもが 文字であり、人間の知的生産のかなりの部分は、言葉や文字によって行われている。  言葉は人種によって違っており、日本人は日本語を使っている。文字も言葉の違い によって、違っている。  アルファベットのような表音文字を使っている言葉が多いなかで、日本人はカナ漢 字まじり文という世界的に見ても特異な表記方式を使っている。したがって、日本人 が使う装置を考える場合、このカナ漢字まじり文をどのように扱うかが大きな課題で ある。 ☆カナ漢字まじり文の特徴  漢字には音と訓とがある。音にも、行事「ぎょう」は呉音、行進「こう」は漢音、 行脚「あん」は唐音のように多種類の読み方がある。  その上に、日本で工夫した訓よみがある。日本語の「はしる」という言葉は、中国 の「走」に対応していたので、「走る」と書くことにした。 走る、走った、走らない、という書き方は、RUNる、RUNった、RUNらない という書き方と同じである。しかし、「走る」は自然で「RUNる」は不自然と思う ほどに、漢字は日本人の中にとけこんでいる。 ☆漢字の認識とカナの認識の違い カナより難しいのが漢字というふうに思えるが、脳の中での認識の仕組みが違うの で、どちらが難しいというふうな比較はできない。  脳出血などによって言語障害になった人の症例では、漢字は読めるがカナが全然読 めないという症状もある。  漢字とカナの読み方の違いは、一言でいえば「漢字は絵文字、カナは音文字」であ る。  漢字は絵として目で見ているが、カナは音を表す符号として、自分で声に出して耳 で聴くというところが違う。 ☆クイズ  漢字は全体を絵として見るので、反対に部分から考えようとすると意外に難しい。 クイズを考えて見よう。 1.口 木 各 日 才 2.反 白 米 車 秀 3.方 化 古 右 何 4.又 口 家 生 呉 5.木 林 予 車 心  これはそれぞれ漢字の偏やつくり、構え、等が共通の文字である。それぞれの元の 文字は何か? 簡単なクイズだが、なかなかはわからない。これは漢字を全体として 見ているからである。回答は末尾にあり ☆カナ漢字まじり文のユニークさ  カナ漢字まじり文で日本語を表記しているのは素晴らしい文化である。戦後の日本 の目覚ましい発展の原動力に、カナ漢字まじり文の表記が挙げられると思う。自分の 思っていることを記録し、後で読み返して考えたり、また他人に情報を伝えるために 使っている日本語の表記法が、特に人間に親しみやすいからである。 ☆英文タイプライタの発明 約100年前、機械工業の発達により、アルファベットを書く機械即ちタイプライ タが発明された。タイプライタの発明により、文字の世界は新しい時代に入った。タ イプライタの発明におくれること約70年、コンピュータが発明された。コンピュー タが発展するにつれて、タイプライタキーボードを用いて、コンピュータに英語を入 力するという手法が、標準の入力方法として使われるようになった。  アメリカ人では、タイプライタは文書作成のための事務用の機器として、オフィス で広く使われている。従って、コンピュータにタイプライタキーボードが接続されて いても、違和感はない。アメリカではコンピュータは一般の人にもなじみやすいもの となっている。 ☆日本語とコンピュータ 日本人は日本語を使い、カナ漢字まじり文で表記している。しかしコンピュータは 英語で動くようになっているため、日本におけるコンピュータの利用が制限されてき た。しかし、英文タイプライタにあたる日本語のタイプライタ(日本語ワードプロセ ッサ=ワープロ)が開発されて、カナ漢字まじり文もコンピュータで扱えるようなっ てきた。  日本人がワープロを使って、文章を作るのが普通になってくると、コンピュータも 日本語で使えるようになってくるだろう。コンピュータとの会話はもちろん、プログ ラムも日本語で書くことになるだろう。  日本のソフトウェアがあまり世界では評価されていないのは、日本人が日本語でプ ログラムを作れなかったのが原因である。日本語でプログラムが書けるようになれば 、日本人はソフトウェアの分野で優れた仕事ができるようになるだろう。 ☆ワープロの開発  我々は昭和52年からコンピュータで日本語を扱うシステムの開発を始めた。今後 の利用範囲の拡大のためには、日本語の扱いは必須であり、そのためには日本語の入 力手段が重要な課題であった。 アメリカで英語の入力として英文タイプライタ・キ ーボードが使われている状況を念頭において、まず単独の装置として開発してゆくこ とにした。 ☆開発の意図として考えたことは、 ・英文タイプライタのように使える日本 語のタイプライタが欲しい。 ・コンピュータと日本語の会話ができる 手段が欲しい。 ・コンピュータの技術を日本語の文書作 成に活かしたい。 ということであった。 ☆日本語を手でしゃべる機械。  実際に紙と鉛筆で文書を作っているときの状況を考えてみると、 ・頭のなかにあるアイデアを文章にしながら、カナ漢字まじり文で書く。 ・漢字を特に意識しなくても、すらすらと漢字で書ける。 ・今、書きつつある文章を見ながら、正しく書けているかを調べる。 ・書いた文章を読み返しながら、次の文章を考えてゆく。 といった調子になるだろう。 そのためには、カナ漢字まじり文が無意識に近い状況で打て、打った文章はすぐ読 めることが必要である。 また文書を何回も繰り返して読みながら修正して、完成に近づけていくということ は、図に示すように紙と鉛筆は思考のループ回路の一部を構成しているといえる。 このように文章作成は考えるというプロセスを含んでおり、他人の原稿を清書する のとは全然違っている。  これこそ知的生産そのものであり、今までは、紙と鉛筆という単純な道具で行われ てきたが、コンピュータの力を利用することによって、新しい発展が見出せるのであ る。 ☆カナ漢字変換方式のワープロ  もし、日本語が漢字を使わず、カナだけで表記されているのであれば、カナのタイ プライタを使って、英文タイプライタのように考えながら入力することができるだろ う。  だから、カナで入力して、結果としてカナ漢字まじりの文章が作成できれば、英文 タイプライタなみの日本語タイプライタができるだろうということになる。これがカ ナ漢字変換方式のワープロの発想である。 オアシス(OASYS OA SYSTEM)という商品名で昭和55年5月に発 表し、以来高級な業務用の機種から個人が使うパーソナルユースの機械まで広がり、 一般に普及するようになった。 ☆和文タイプライタの電子化  従来使われてきた、漢字を1文字ずつ選ぶ和文タイプライタを電子化するような発 想もあった。しかし、漢字の使い方が話し言葉に対応していないことから、考えなが ら入力するような用途には向かないと判断してカナ漢字変換方式を選んだ。  このような入力方式のワープロは昭和55〜6年には数社で開発され販売された。 しかし、実際には使えないことが分かって、現在ではもう販売されていない。 ☆カナの入力方法の考察  人間が使っているもので可能性のあるものを全て取り上げて、検討した。音声の認 識は技術的に困難で、結局は指を使う鍵盤による方法が現実的であった。 ☆JISカナキーボードの問題点  カナタイプライタでは、アルファベットよりも多いカナを工夫して、キーボードに おさめている。この流れをくんでいるのが、JISで配列がきまっているキーボード である。しかし、カナを4列に配置せざるをえなかったので、ブラインドタッチがで きないという大きな欠点がある。ブラインドタッチができなければ、キーボードを見 て入力することになり考えながら画面を見て入力することができない。 ☆ローマ字入力の問題点  コンピュータの専門家には受け入れられやすい方法である。しかし、日本人はロー マ字を使っていないから、入力だけに使うのは不自然であることや、カナの2倍弱の キータッチ数が必要で入力速度が遅くなるなどの欠点がある。 ☆親指シフトキーボードの開発  従来のキーボードでは不満足だったので、新しいものを考案することにし、昭和5 3年から、具体的に種々のキーボードを試作して、実験した。いろいろな方法のうち 、英文タイプライタではスペースバーを押すのにしか使っていない親指との同時打鍵 で、キーボードの数を実効的に増やせる親指シフトキーボードに絞って実験を進めた 。 同時といっても、どこまでが同時なのか?人間は同時にキーボードを打つことがで きるか等、頭で考えると、都合の悪いことが多いが、可能性を求めて実験を進めた。  同時打鍵のキーボードは、従来の機械式のタイプライタでは実現不可能であったが 、電子的だとプログラムでキーボード信号を判定できるので、造作もないことであっ た。  キーボードの配列は最初は50音表に従った規則的なものであった。しかし、配列 を文字の出現頻度と遷移頻度を考慮して決めた配列の方が、慣れると早く楽に打てる ことが分かったので、現在の親指シフトキーボードの配列にした。キーボードの配列 をどのようにすればよいかは、英文タイプライタのキーボードの研究でかなりのこと が分かっているので、それを参考にした。  親指シフトキーボードは英文キーボードの3列10個のキーボードを8本の指で選 択して、30個のキーを選ぶ方法を基本として、それに親指の同時打鍵を加えた。こ のようにして、90個のキーボードとして使える。 ☆濁音の入力の工夫  濁音も一度に打てるようにした。JISキーボードでは、濁音は電報のように、2 文字で打つことになっている。しかし、我々が日本語を発音する場合には、一度に濁 音として発音するので、濁音が一度に入るほうが自然である。そこで、反対側の親指 と同時に打つと濁音になるようにした。 ☆親指同時打鍵の自然さ どうして親指と他の指の同時打鍵が、うまくゆくかを考えてみよう。サルや人間は 物を握ることができる。これは、人間の祖先であるサルが進化する過程で生存のため に大切なことであった。  サルはアフリカのジャングルの樹の上で進化した。サルは樹から樹に移るためには 、小枝を手と足でしっかり握って移動する必要があった。握るというのは、親指と他 の4本の指が対向して動き、その中にものを包むようにして指で固定することである 。樹から飛び移るときには、親指と他の指を開いて、そこに枝が触れると、それぞれ 反対方向から瞬間的に握り、枝を掴むわけである。  このようなわけであるから、親指以外の指の同時打鍵は実験も行ったが、全然うま くゆかない。 ☆ワープロに対する批判  日本人が文字を手で書く長い伝統の中で、突如現れたワープロに対する拒否反応が 随分あった。 ・文字は書くものであるという議論   漢字は見るためには非常に優れているが、 その反面書くのが大変である。ワープロは書く労力を減らすのに役立ち、結果として 漢字の効用を伸ばす方向に働く。もちろん文字を書く大切さを否定するものではない 。既に、毛筆は実用的には使われなくなり、書道として生きているのが現実である。 ・印刷した文字が不正確、字体がおかしい。カナ漢字変換で間違った漢字がでるとか の議論。  字体や文字は出力装置の問題で、幾らでも改善できる。カナ漢字変換で間違った漢 字が出たりするワープロもあるが、だんだん改良されるであろう。本来ワープロは文 章を作ってくれる機械ではないのだから。 ・アメリカ人はキーボードに慣れているが日本人はキーボードに慣れていないから普 及しない。  タイプライタは開発されてから、たった100年である。アメリカで普及したのは 今世紀に入ってからである。  本当に使いやすい装置であれば、日本でも普及するはずである。ワープロのここ数 年の普及の状況がその証拠である。 ☆ワープロの使われ方  ワープロが一般の事務所で当たり前のように使われるようになった。企業内で使用 される文書は手書きからワープロにかわっている。速記の反訳や印刷のための原稿入 力にはワープロは欠かせぬものとなってしまった。  一方、作家や学者が自分で原稿を書くのにワープロを使うことも、当たり前になっ てきた。同様に、オフィスで文書を作るのに、一般のビジネスマンや技術者がワープ ロを使うようになった。 ☆ワープロを使うことが楽しい  使う前は何とも思わなかったのが、何かのきっかけで使うようになる。最初はキー ボードを覚えるのが大変であるが、だんだんと慣れてくると、使うのが苦にならなく なり、楽しくなってくる。そのうち、どんなことでもオアシスでやりたくなるし、他 人にも吹聴したくなる。他人にも使わせたくなってくるといったあんばいである。  これは自動車の運転によく似ている。自動車も最初には慣れるのが大変だし、初め て路上に出ると、緊張して疲れるものだが、運転に慣れてくると楽しくなってくる。 用もないのに運転したり、他人を無理に乗せたがったりする。お風呂や散髪屋にも自 動車で行くといったのと非常に良く似ている。 ☆将来のこと  オアシスは日本人がカナ漢字まじり文で知的な作業を行う場合には、優れた機械と 人間とのインターフェィスを提供していることになる。親指シフトキーボードやカナ 漢字変換の方法は、自動車の丸ハンドルやアクセルのようなものである。  オアシスは考えながら文章を作る局面を、積極的に援助してくれるので、使うと楽 しいし使いたくなるのであろう。  もともと日本語とコンピュータとの接点として開発したものなので、すでに汎用コ ンピュータにオアシスを接続してシステム的な運用ができるようにしたり、コンピュ ータの端末のキーボードにも親指シフトキーボードをつけて、ワープロと同じように 日本語の入力ができるようにしている。  人工知能の分野といわれる「翻訳」や「エキスパートシステム」にしてもコンピュ ータと会話するのに、日本語で行うわけであり、そのときには自分の思っていること をキーボードでコンピュータに伝える必要があるわけである。  言葉を使うインターフェィスについては、ワープロで克服されつつある。しかし、 人間は表情や身ぶり手ぶりで情報を伝えている。これらの情報の扱いはコンピュータ にはまだ苦手であり、今後の開発に待つところが多い。     以上  クイズの回答 問閑閣間閉 返迫迷連透 芳花苦若荷 奴如嫁姓娯 床麻序庫応