寄書 日本におけるソフトウェア  ・・電子通信学会誌 61巻9号  53年9月  930ページ・・                            神田 泰典 1.まえがき  資源の乏しい日本としては優秀な頭脳で世界に役立ってゆきたいというのが我々の念 願であり、情報処理産業はそれにふさわしいものの一つである。  システム全体に占める費用はハードウェアからソフトウェアに重点が移ってきている が、歴史が浅いこともあってソフトウェアについて未知の部分も多く、問題点の解決に 苦慮しているのが実情である。  この小文ではソフトウェアを一つの専門分野としてとらえずに、誰でも取扱える普遍 的なものとしてとらえることの大切さを強調している。  計算機を自動車の世界に例えればソトフウェアは自動車の使い方になるだろうが、自 動車は専門知識がなくても使用することができて、良きにつけ悪しきにつけ社会生活に ここまで自動車を取り込んできたのは専門家ではなくて自動車を利用している一般の人 々である。  ここでは人間の側から考えることの重要さを述べ、例として視覚によるインタフェー スが大切であり、ソフトウェアが誰にでも親しめるためには日本語を用いるべきである ことを述べている。 2.ソフトウェアの問題点  日本の情報処理産業の発展はすばらしくハードウェアではアメリカにもひけをとらな いが、ソフトウェアでは遅れているというのが一般的な意見である。  製造業一般では省力化の進むなかでソフトウェアの分野では今後ますます多くのプロ グラマが必要とされている。その上プログラマには特に創造性が必要とされるといった 意見や、誇張されているとはいえプログラマの35才停年説が話題になったりしている  問題点の一つとして考えられるのは、ハードウェア側の人々とソフトウェア側の人々 との考え方のギャップであろう。  ハードウエアは産業革命以来200年の歴史を持ち、それなりの分業体制、製造技術 開発方法についての豊富なノウハウがあり確立した制度がある。それに対しソフトウエ アはハードウエアとは異質なものであることが分かるにつれ、ハードウエアの制度にな じまないものとして分離されてしまった。今ではハードウエア側からは、ソフトウエア は何かよく理解できないもの、難しいものとしてみているし、ソフトウエアの側にもソ フトウエアはハードウエアとは違う特別のものであるという意識があるようである。  このようにしてハードウエアとソフトウエアが離れてしまい両方に理解のある技術者 も少なくなり、共通の場も少なくハードウエアのノウハウがソフトウエアに移りにくく なってきている。 3.ソフトウエアとは何か  ソフトウエアとは計算機のプログラムの総称であり、プログラムとは計算機に所望の 作業を指令するための手順を精密に記述したものということになっているが、プログラ ミングの過程を観察してみるとソフトウエアとは人間を離れた存在ではなくて人間と共 に存在するものであり、人間の精神活動が計算機という鏡に写った映像であるとすると 物事がよく理解できる。  自然科学では自然のしくみを理解するため、客観的な立場で自然を対象物としてとら えて研究している。  ソフトウエアを考える場合でも無意識のうちにソフトウエアを人間に対立する独立し た自然物としてとらえているのではないだろうか?  ソフトウエアとは人間自身の活動が主体をなしているとすれば、ソフトウエアを自然 科学と同じように取り扱おうとしてもうまくゆかない道理であろう。よく理解するため には人間自身をよく理解することが必要であり、心理学や神経学、言語学等の知識を役 立てるべきである。 4.ストラクチャードプログラムの例  人間の大脳の研究によると人間の論理認識と空間認識とは大脳皮質の同一場所である 頭頂一後頭部で営まれているとされている。この部分の損傷により空間の認識である左 右や鏡映図形の弁別ができなくなると共に、論理的な認識、例えば複文の理解や「父の 弟」と「弟の父」の区別ができなくなる。この事実は人間の論理的な認識は大脳の中で は視覚に基づいた空間認識に関連づけることによって行われているということを強く示 唆している。すなわち人間の論理の理解は大脳に幾何学的な関連図が描かれることその ものであると考えられる。  一方、計算機は人間と違い盲目の巨人というべきもので、リストによる関係づけで判 断している。例えば、入れ子の関係等についても計算機では関係が分かっていれば何重 になっていても認識できるが、人間では大脳の上に関連図を思いうかべられる範囲まで である。  このように考えるとストラクチャードプログラムの考え方は計算機だけに分かるソフ トウエアから人間にも分かりやすいソフトウエアにする動きとしてとらえることができ る。 5.視覚の重要性  アメリカで計算機が開発されるときには既に英文タイプライタが発達した後だったこ ともあって、けん盤入力による1次元の文字列が人間と計算機とのインタフェースとし て採用された。盲目の巨人にとっては1次元が望ましかったのである。  しかし、同じ論理を記述するにしてもハードウエアの世界では物の絵(図面)からの 系統をひく、シンボルと2次元図面を用いた論理回路図が使用されておりソフトウエア の世界とは強烈な対照をなしている。  ソフトウエアの設計にも流れ図が用いられているが補助的で、資料としての取扱いに も工夫が足りないのでプログラムのデバックや保守には十分活用できないのが実情であ る。  人間の側から考えてみると当然流れ図のような2次元の図面で設計、製作、保守を行 うべきである。  ハードウエアの分野では、計算機を使った設計自動化システムが10年来実働してお り、論理回路図等の2次元の図面がサポートされている。このシステムはソフトウエア の開発システムとして流用可能である。  プログラムのデバックがラインプリンタシートのリスト中心というのは工夫が足りな いと思うと共に、習慣の根強さを感じずにはおれない。  1976年にアメリカ政府に出されたある勧告案では「歴史的な偶然によってアメリ カはソフトウエア作りの現行の進め方に関して、世界の他の部分より多くの慣性(およ び既得権)をもっている」とし、ソフトウエア開発の進め方という面で、他のもっと柔 軟性をもった国民にとって代われる恐れがあると警告している。これは既成のやり方に とらわれないでやることの必要性と、アメリカから学ぶだけではなく独自に考えるべき ことを教えている。 6.日本語の重要性  ソフトウエアだけがどうしてアメリカに遅れをとっているのかよく分かっていないが 日本語を使っていないことがその原因らしく思われる。ソフトウエアを人間の精神活動 の面から考えれば、日本人は日本語を使うのが自然である。そう思ってみると日本人が 対象のもので英語を使っているのはソフトウエアの分野くらいである。映画やテレビで も日本で作るものは日本語だし、外国のものでも字幕を入れたり吹替えたりしている。  現状では計算機で日本語が満足に扱えないし、当分見込みがない観さえある。しかし 日本のソフトウエアの発展ために不可欠であると分かれば大幅に開発を早められる可能 性がある。  アメリカでは(英語で書いた)ドクメンテーションは計算機で編集、印刷、配付され ているが、日本でも同様に(日本語で書いた)ドクメンテーションが計算機で扱えるこ とだけでもどんなに素晴らしいことだろうか。  日本では英語は外国語であり日常の思考は日本語で行われている。単語の概念ひとつ にしても日本語であれば明確であり他の単語との関連もよく分かるが、英語では暗記の 域をあまり出ない。  アメリカにおいてはソフトウエアに英語を用いているのでソフトウエアは身近なもの として映っているに違いなく、誰でもちょっとプログラムを作って仕事をしようといっ た感じがあるのはこのあたりに関係があると思う。アメリカでは小学生でもBASIC でプログラムを作っているというのもうなずける。  もし、プログラムが日本語の作文のようなもので人間の視覚に直接訴えるような工夫 がされていれば、ソフトウエアを特別の専門分野として考える必要はなくなるし、日本 人誰でも容易にプログラマになることができる。年令による限界もなくなりプログラマ の不足も解決するだろう。  日本語のかな漢字混じり文の表記は英語にみられない独特の表現力があり人間とのイ ンタフェースとしても優れた面があるので、日本語によるソフトウエアは英語によるソ フトウエアより良いものができるという希望もある。 7.まとめ  日本のソフトウエアの問題点について考察し、ソフトウエアを人間の側からとらえる ことの必要性を述べた。誰にでも親しみやすくするには視覚によるインタフェースを重 視すること、日本語をソフトウエアに取入れることを例として示した。  特に人間を助けるための道具、システムの工夫が急務でありハードウエア側で持って いるノウハウが利用できることを述べた。  今後は既成概念にとらわれないで、外国にない日本の良さを生かすべきだろう。  最後に、御指導頂く山田部長、井上部長、討論頂いた、杉本氏に深謝いたします。 文献 1. ルリヤ 松野豊訳 人間の脳と心理過程  金子書房    2. グイクストラ 木村 和田 共訳 プログラミング                  情報処理 18 p128