OASYSで書いたOASYSの小説       「 吾 輩 は O A S Y S で あ る 」            富士通のワードプロセッサーとは何か                             清水 ますみ          〔1〕繙繻癆yはOASYSである          〔2〕繙繧アんな筈じゃなかった          〔3〕繙繝pソコン君          〔4〕繙辮e指シフトキーボードついに誕生          〔5〕繙繿ホ話式かな漢字変換          〔6〕繙繻癆yは男だ!          〔7〕繙繽奄゚ての海外旅行          〔8〕繙繧あ、胃が痛む          〔9〕繙縺wOASYS』SFストーリー    〔   1   〕   吾 輩 は O A S Y S で あ る  吾輩はOASYSである。この名前が気に入った。皆が実に気軽に呼んでくれる。  ところでこの名前のことだが、最近少々気になっていることがある。吾輩はいわゆるワ ードプロセッサーといわれるものだが、我が兄弟分達は吾輩のように自分の名前で呼んで もらっているのだろうか。ひょっとして「ワープロ」なんて中途半端に、軽佻浮薄に呼ば れているんじゃないだろうか。いやしくも文章を取り扱う身分としてはそんな呼ばれ方は 不服の筈だし、おおいに憂慮するところだろう。おせっかいながら心配している。吾輩の 場合はいつでも、れっきとした自分の名前「OASYS」で、しかも大変親しみをこめて 気安く呼んでもらっている。うれしい限りである。  のっけから名前の自慢話で恐縮だ。しかし自己紹介にはまず自分の名前から披瀝するの がエチケットというものだろう。何でもこのOASYSという名前は『OFFICE AUTOMATION SYSTEM』に由来するもので、吾輩がこの世に日本語ワード プロセッサーとして生を受けた時、親がその命名を世に問うて応募をつのったそうだ。な んと一万を越える候補名が集まって、その中からよりによりをかけてめでたく選ばれたの が、この「OASYS」の名前だという。 実は吾輩、この我が命名のいきさつを知った時、不覚にもジーンと熱いものがこみ上げ た。吾輩がまだ海のものとも山のものとも分らない、もちろん吾輩を見たこともさわった こともない一万以上もの人達が、吾輩に興味と関心を持って名前をあれこれと考えてくれ たのかと思うと有難かった。そして吾輩がどんなに期待され、望まれてこの世に生まれて 来たのかを悟り、これに応えてゆかなければならないと自覚したものだ。  実際この時が、吾輩の最初の自我の目覚めといえるものだろう。これからここに書きつ づるは、我が自我の目覚めの過程、成長の記録の告白ともなろうか。何しろ自分の何たる かも知らず、世間の事に関してももちろん知るすべもなくこの世に生を受けた時から今日 まで、吾輩なりに体験を重ね、己自身に一つ一つ目覚めて成長して来ているのであるから 。これらの事どもの告白の記をここに僣越ながらもしたためようと企てているのである。    〔   2   〕   こ ん な 筈 じ ゃ な か っ た  吾輩はよく親と話をする。おもに吾輩の方から自らのグチや相談を持ち込むケースが多 いが。親との会話は大切なものだ。この会話によって吾輩が自らの自我を確立していけた と言っても過言ではない。急に唐突な話題ではあるが、吾輩が我が性を男性なりとの自覚 をはっきり持つ事が出来たのも、親との会話があったればこそであった。この件について もいづれ告白することになろう。  吾輩と親との会話は、吾輩が夢と現実のあまりの開きにボヤイたのが最初だったと記憶 する。  吾輩がこの世に送り出されてまだ間もない。しかし実際アッと言う間に全国に驚異的な 数が活躍することになった。そしてその一台一台が役に立たずにホコリをかぶっているな どという噂をとんと聞いたことがない。これはいわゆるマイコン、パソコンといった我が 従兄弟筋のもの達との大きな違いであろう。(この従兄弟筋とのもんちゃくについてもい づれ話さねばならない。)朝早くから夜遅くまで、よくもまあ酷使してくれる。この忙し さは殺人的で「うれしい悲鳴」なんて表現からは程遠い。正直言って吾輩がこんなに忙し い思いをしようとは夢にも考えない事だった。吾輩の手にかかれば超スピードで仕事をこ なせる自信は充分にあったから、 「この書類、和文タイプだったら30分もかかっていたのにOASYSなら10分で出来た わ。OASYSってすごいわねぇ〜。」 なんて賞讃の言葉を賜って、差引き20分の休息が出来るものとたかをくくっていた。とこ ろがどうだろう。現実はとんでもないことになった。この空いた20分間に別の人の別の仕 事が殺到する。皆がこの20分の時間を使おうとする。考えてみれば皆が吾輩を使って20分 の時間を生み出している訳で、吾輩が20分の休息が出来ると考えたのは根本的な考え違い であった。  もう一つ大きな思い違いがあった。吾輩の生れたての頃、我が夢はかくも美しかった。 吾輩はコザッパリとした近代的で明るいオフィスに陣取って鎮座ましまし、見目麗しきO L達がその白魚のような指でわがキーボードを奏でてくれる。この光景こそが吾輩にお似 合いの姿と思い込んでいた。ところがこれ又現実は甘くなかった。見目麗しの白魚の指ば かりか沢山の男達の指が我がキーボードを叩きまくるのは我が夢の最大の誤算であろう。 確かに吾輩は『誰でもが簡単に操作出来る』事が謳い文句になってはいる。しかし実際問 題オフィスで文書を清書しているのは大方若きOL達であるし、文書のプロであるタイピ スト達だって女性と相場が決っている。コンピュータのオペレーターやキーパンチャーも 女性だ。まずは彼女らが吾輩に偏見や違和感もなく近づいてくるだろうと思い込んでいた のが吾輩のあさはかさだった。  それに加えて近代的な明るいオフィス?と〜んでもない。日本の現実は実際ひどいもの だ。うす暗く、古くさく、オフィスなどとは呼び難い場所は実に多い。そんな部屋のかた 隅のダンボール箱置き場をよけて、やっと押し込まれる事だってある。  「こんな筈じゃなかった。」 吾輩はこの夢と現実のおおいなるギャップにクサり切って、或日親にボヤキにでかけた訳 だ。かなり切実な悩みだった。しかし、その時親はいかにもすずしい顔をして言ったもの だ。  「おまえも全くめでたい妄想家だねぇ〜。」 吾輩のこの現実は百も承知で、とうに読んでいたと言う。  「おまえ、そんなに忙しいか。やはりねぇ。それだけ物を書く作業が多いと言う事実の  証明でもある訳だなぁ。」 などと呑気なものである。吾輩は返事もせずふくれっつらでいると、やがて親は真顔で吾 輩の方に向き直る。どうも講釈が始まるけはいだ。 「おまえの活躍が必要とされる場所は、当面いわゆるオフィス或いは事務所と言われる  場所だ。だがね、ここでの人間の仕事の仕方というものは昔から旧態然として、その生  産性は高いものではない。この事は技術生産の場である工場の生産性、合理性と比べて  非常に見劣りするんだ。実際のところ工場での技術革新はすごいからね。」  「うん、ロボットが活躍する時代だからね。」 と、お説教の始まりに観念した吾輩は一応相槌をうつ。 「確かに事務機器と言われるものはそれなりの進歩はしているよ。カーボン用紙を何枚 もはさんで書くことが、ノーカーボン用紙と質の良いボールペンのおかげで以前よりは 容易になった。それにコピーする機械も発達普及した。えんぴつの代りにシャープペン シルが出来て、えんぴつを削る手間もなくなった。見出しや編集を工夫した種々のノー ト類も市販されて便利に使えるようになった。しかしせいぜいこの程度の進歩だ。」 一通りオフィスオートメーション(OA)の必要性を語って聞かせようとの有難い親心で ある。だが大体こんな事は吾輩でも充分承知しているから先手を打って、  「うん。それに文書を書くという作業は完成までのことを考えると、全く時間のかかる  作業だよね。」  「全くだね。実際調べてみると、文書作業は他のオフィスでの作業、電話する、客と会  う、会議をする或いは思考判断する等の作業量と比較すると全体の半分近くの比重を占  める。この大量の時間をさく作業である文書作業をまずは合理的にやってみようと考え  るのは常識だろうね。」 そして今度は、文書作成の何たるかを説明して、吾輩の必要性と吾輩の多忙の理由を結 びつけようとの魂胆らしい。 「文書を書くという作業に焦点をしぼって考えてみようか。お前の言うように書くとい う作業は全く時間のかかる手作業だ。文書にも単純な文章だけのものから数字、グラフ、 表とさまざまに複雑な種類のものがあるしね。しかしね、文章を書くという行為自体は 人間本来の全く知的作業だし、意味のある行為であることは忘れてはいかん。」 「もちろんだ。」 「まあ、ここに仮に或人の文章が出来上がったとする。次に他人にこれを見せるために 清書する必要が出て来る。これを他人にまかせる事も多い。コピーしたり、印刷を頼む 必要がある場合だってしばしばだ。いったい一つの文書の作成から出来上がりまでどれ だけの時間と何人の労力が必要だろうか。これを合理化する方法はないだろうか。ここ におまえの出番がある訳だ。」 長い講釈だ。吾輩は我が多忙さと当初の夢の挫折についてボヤキに来ている訳であった が、こう理屈っぽい話が長々と続くとあくびも出てくる。すると吾輩のあくびを見てとっ たか、親は今度は禅問答としゃれ込んで来る。  「おまえ役に立たないと叱咤されたことはあるか?」 無論  「ないよ。」 と答える。  「OA化が進んだこぎれいなオフィスなんて今の日本中探したってそうないよ。これは  現実というものだよ。」  「しかたないね。現実だからね。」 と答える。  「おまえはいかに古びたオフィスにあっても酷使されている訳だろう?」  「そういうことだ。」  「おまえを使っている人は喜んでいるか?」  「ああ、大いに役に立つと喜んでもらっているさ。」 禅問答もこうたたみ込まれてくると、くやしいかな負けである。  「今の日本の実情においても立派に役に立ち、休む暇もなく使って頂いている。大した  働きじゃないか。忙しいことが何だ。有難いことだよ。違うか?」 現実ありのままを達観せよ。そして酷使をあまんじて有難く御受けせよ、我が分際を知れ 、との御諭しのようである。ここまで来ると長い理詰の講釈に当初のボヤキ心も萎えてい たし、禅僧顔負けの親の諭しに素直に従うことになる。確かにおっしゃる通りである。  文書作業の如何に多いことか。それは体験上よく分る。それに近代的なオフィスも今は 高望みというものだ。なる程、どんな悪い環境のオフィスにおいても便利に使ってもらっ ているこの事実こそが意味あることだろう。そうだ、吾輩はOAの尖兵なんだ。まずは吾 輩がOA化の糸口を開かねばなるまい。これが今の我が分際というものだ。そしてこの悟 りの境地は意欲にまで昇華した。悟りとは不思議なものだ。悟りの境地に達した吾輩は、 今では多忙をボヤくこともない。古いオフィスも何のその。OAのフロンティア精神に燃 えている。  だが、おさまらぬは白魚の指の幻想である。我が親は案外意地が悪い。  「龍宮城にでも行ってみるか。」 などとからかう。しかし、本件ばかりは悟りの境地に追いやられてはならじと、吾輩は食 い下がった。  「何たって男は乱暴で使い方が荒いし、第一汚してかなわんよ。全く。」 この吾輩の白魚の指の幻想に端を発した会話は、はからずも我が生い立ちにもかかわる話 を聞くことに発展することになるのだが。  「おまえは自分を単なる清書屋、印刷屋だと思っているんじゃあるまいね。」 と急にきつい語調の詰問である。少々面食らった吾輩はしばし沈黙する。なぜかと言って 吾輩の最も得意とする機能はワンタッチの文書の訂正、削除、挿入や移動であるから、こ れこそ文書の清書にとって最高を誇るものだろう。我がトレードマークと自負していると ころである。印刷だってそうだ。書いたものが直ぐ印刷し上がるのだから、これこそ文書 作業の合理化というものだ。  「違うの?」 心の中では  「いったい白魚の指と何の関係があるんだ。」 と反抗している。ところが親に言わせると、そんなことの為に吾輩が生れて来たのではな いと言う。『生れて来なかった』の言葉に緊張した吾輩は身をのり出した。  「或人が文を書く。次にこれを清書する。この清書作業は、すでに出来上がった文章を  ただ自動的になぞる事だ。これこそ労力の無駄だろう。文章を作る作業と、清書をする  作業は同時に行えるべきだ。」 なる程道理である。  「おまえは自分のキーボードを見たことがあるか?」 今度は又よりにもよって何という愚問だろう。吾輩としては依然として白魚の指にこだわ っているし、折角キーボードの話題が提供されたところだし、我がキーボードは英文タイ プライターと酷似しているから、こう言葉を続けた。  「アメリカじや秘書嬢達は上手なタイピングが必須の条件だから、あちらでもタイプを  使うのはやっぱり女性が多い筈だよね。」  「そうだね。しかし小説家や新聞記者は男でも自らタイプライターを打って原稿を作成  しているよ。」 男性もタイプすることを言いたかったのだろうが、この件はこれで話がとぎれた。キーボ ートに関してはそれ以上話は発展しなかった。 顔色を窺うとまたもや講釈の始まりだ。 「文章を書く、文を練るという作業は人間独自の本来知的作業であることは前にも話し たし、わかるね。人間は紙とペンを使って、頭で考えては文字を書きつけ、書きつけて 文字にした事が又頭にフィードバックされて大脳を刺戟し、又書きつけて行く。この文 章を作るという最初の知的作業を一切無視しての文書作業の合理化なんて私は考えたく ないんだ。おまえはここでも活躍しなくては嘘だ。」 文書作業の単なる時間の短縮化や工程の簡略化を追求しては文章を書くという人間本来の 知的活動の無視にもつながるという理論とみうけられる。いやに難しい議論になった。白 魚の指はどうした。 「それに、合理化という言葉はあまり好かんね。」 「???」 「OAってのはオフィスの合理化と一口に言うけれど、オフィスに働くすべての人間が 雑用から解放され、本来の知的活動をより活発に謳歌出来て、初めて合理化と言えるん じゃないかな。」 『オフィスすべての人』に力がこもる。 「もし文章の作成と清書が同時に出来ないとなると、いかにコンピュータによって清書 が簡単に出来ようと、他人に清書を頼む事が多くなってしまうだろう。すると清書を分 担する人は知的にはおよそ充実した作業とは言えない単純作業にあまんじなければなら なくなる。ましてや簡易に清書が出来るが故に、タイピスト達と違って特別のプロ意識 も持ちえないだろう。これでは気の毒だ。」 「なる程。その人はワードプロセッサーというコンピュータの一部に組み込まれること になると言ってもいいね。」 「そうだね。チャップリンのモダンタイムスの悲劇がオフィスでも起ることになる訳だ 。オフィスすべての人間が本来の知的活動にたずさわってはじめてオフィスの合理化だ 。違うだろうか。」 吾輩はうなった。 吾輩は文章の作成という最も知的な作業の段階においても人間に接するべきである。又 その知的作業と清書作業が同時に行われるべきだ。なお且つワードプロセッサーを扱う故 の単純清書作業者をオフィスに誕生させてはならない。これが我が親が吾輩を世に送り出 すに当っての根本的な考え方であった。こうして聞いていると、考え方というよりも思想 と言えるものかもしれない。この思想が吾輩を世に送り出した。  かなり高尚な話を聞く事になってしまったものだ。しかし親の心子知らずとはこの事だ ろう、と密かに自戒した。そして親に対する尊敬の念も芽生えた。自らをもっとよく知ら ねばならんなとも思った。後で聞いたことだが、この時親は吾輩の誕生迄の考え方を話し たところで、これの具体化のための苦労話も語ろうかと思ったらしい。しかし時期尚早と 切り上げたという。ただ  「おまえは自分のキーボードを見たことがあるか。」 の質問はいずれ語るべき話のヒントとして投げかけたものという。実際のところ、我がキ ーボードに今日の話の秘密が隠されている事を知ったのはこの日から大分後のことである 。  さて忘れてはならぬ。白魚の指である。我が理性はおのがおいたちに係わる思想を期せ ずして聞いてすっかり感心してしまうやら、同時に何やら難しくもあったから頭は疲れて ボンヤリするやらである。しかしいかんせん、我が感情は白魚の指の幻想断ち切れず、釈 然とせぬままである。一方親はすでに吾輩のボヤキについてはすべて回答を与えたと判断 、  「まあ、がんばれや。」 の言葉を残してさっさと行ってしまう。  一人残された吾輩はぼんやりと考える。文章を作る必要がある人なら誰でも、男も女も 吾輩に向かう。清書を依頼される専門のオペレータやタイピストやOL達が吾輩を使うの ではない。ゆえに男達が吾輩を使うのも道理か・・・。しかし、我が感情は何故か、白魚 の指へのあこがれを断ち切れずにいた。    〔   3   〕   パ ソ コ ン 君  従兄弟筋のパソコン君とのもんちゃくの一件がある。吾輩は今でこそ大分成長したが、 パソコン君と初めて面識を得た当時の吾輩はまだ未熟だった。大体吾輩はパソコン君と机 を並べることがよくある。彼は従兄弟だけあってその姿形が吾輩とよく似ている。吾輩は 人がよいからすぐ仲間意識を出して話しかけたものだ。しかし一向にしっくりいかぬ。何 やら気まずいから吾輩も話かける事は止めてしばし彼の行動を観察してみることとした。  吾輩と違ってかなり暇と見受けられる。吾輩が忙し過ぎてグロッキー気味になっていた りしても、およそいたわりの言葉もないし、ただ悠然と身構えて吾輩に侮蔑のまなざし( 吾輩にはこう感ぜられた。)を投げる。極端な話ではあるが、勤務時間には一向に働かず 休み時間には大変な人だかりという時もある。その時の彼は多くの人に囲まれて実に得意 満面である。ゲームを提供していると言う。  彼の利用者達も観察した。吾輩以上に男達が多いように見受けられる。それに利用者層 が狭く、固定しているところは吾輩と随分違うところだ。そして彼等は難しいしかめつら をすることがしばしばある。  或日、吾輩思い切ってパソコン君に話しかけた。具体的に質問でもすれば彼も答てくれ るだろう。利用者のあの難しいしかめつらは何故かと尋ねてみた。するとパソコン君、い つになく機嫌良く返事をしてくれた。  「プログラムを考案中さ。」 吾輩は一向に要領を得ず、  「プログラム?」 と聞きかえす。ますます鼻を高くして、  「コンピュータ操作の基本じゃないか。プログラムが分らないでコンピュータが使える  ものかね。プログラム作業こそ人間の頭の使いどころさ。人間はまさしく知的動物だか  らね。まずプログラムにスリルを求めている。まあ頭の悪いやつはお話にならんがね。  いいプログラム作りが秘訣だね。」 吾輩としてはパソコン君の自信たっぷりの風情に萎縮して  「なる程秘訣ねぇ。」 と、何やら分らぬまま声をひそめて相槌を打つ。すると例の人を見下ろすような侮蔑のま なざしで、  「OASYS君、何でも君は単純に出来ているねぇ。プログラム作業が必要ないと言う  じやないか。いやしくもコンピュータとしてはずかしいとは思わんかね?」 吾輩生れてこの方『はじ』なるもの考えたこともない。それにしても大いにバカにされて いる。パソコン君の独壇場は尚も続く。 「最近はやたらコンピュータを庶民化する傾向にあるからね。昔の威厳と誇りを捨て去 ろうとしているのは良くない風潮だ。ボクなんか言語を3種類も用意させられているぜ 。サービス過剰だと思うがね。コンピュータの堕落だよ。誇りは捨てたくないねぇ。」 またまた『言語』などと分らないことを言っている。しかしこれを聞き返してはますます バカにされそうだ。吾輩は言語と言えば日本語しか知らぬ。パソコン君は3種類だそうだ 。勝ち目はなさそうだ。形勢不利である。その時よくしたもので誰かが吾輩のところにや って来た。これ幸いと思ったが、どうも腹の虫がおさまらぬ。皮肉たっぷりに捨てセリフ をはいてやった。  「お暇な事でけっこうですな。」 するとパソコン君負けずに  「貧乏暇なしとはよく言ったものだ。」 しかし、これ以来パソコン君が以前にも増して冷たくなったところを見ると、暇な事は多 少なりとも気にしていて、大いにプライドを傷つけられたらしい。  このもんちゃくがあって、またゾロ親のところに足を向けた。吾輩、バカにされるのは 初めての経験だったし、『プログラム』の『言語』の『コンピュータの威厳や誇り』のと 全く理解に苦しんだし、特に『頭の悪い人間は話にならん』の発言には生来ヒューマニス トの吾輩としては聞きずてならない。  「ひどいパソコン君がいたものだねぇ。すべてのパソコン君がそんな事を言うとは思え  ないがなあ。まあ運が悪かったさ。」 と、ひとまず吾輩を勇気づけてくれる。我が親は吾輩が『頭の悪い人間云々』の発言に怒 りを覚えた事に非常に感動し褒めてくれた。  「確かにコンピュータは難しい。高級だと言われ続けてきた。専門の勉強をしなければ 扱えない。しかしいったい難しい事が威張れる事だと思うかい。コンピュータを知って いる人達の心の中にコンピュータを知らない者には分りっこないとか、コンピュータを 使わせてやるとかいう気持があったら、いつまでたってもコンピュータは人の役には立 つようには進歩してゆかない。しかし、残念な事にこういう気持の人は往々にしてこの 世界には多いんだよ。そのパソコン君のようにね。いつまでもコンピュータを専門家だ けが扱うものとしていると、誇りどころか傲慢さになってしまってコンピュータの進歩 を止めてしまう。頭の悪い人だって使えなくちゃね。折角のコンピュータなんだから。」 吾輩はうれしかった。やっぱり親子だと思った。  「特におまえの場合はオフィスに居る訳だ。オフィスの全員がコンピュータを知らない  かもしれない。それでも役に立たなければならない。」 全くその通りだ。 「プログラムはね。コンピュータの操作に必要なものだ。確かに難しいものさ。しかし そのパソコン君のようにプログラムが分らなかったらコンピュータを使う資格がないと 主張するのは間違いだよ。分らない人には使えないんじゃ、コンピュータも役立たずだ 。おまえにだってプログラムはもちろんある。文書作成の為のプログラムだ。ただ見え ないだけだ。プログラミングが必要ないからといって決してコンピュータの誇りを傷つ けるものではないよ。安心して堂々と胸をはれよ。」 やっとホットした。 「そのパソコン君が暇なのは彼が最大の誇りとするプログラミングをする人が居ないか 、或いはうまくなされなかった為だろう。オフィスではなまじプログラムがでしゃばっ ては、一般の人が使えなくなるといういい例だね。折角のプログラムだって、それが作 られなければ役立たずだ。もし皆がプログラミングが出来て、しかもうまく出来ればそ のパソコン君だっておまえと同じように忙しい筈だよ。そしておまえと同じように役に 立つだろうね。」 かのパソコン君が暇である事を吾輩に言われて怒ったのも、この辺にジレンマがあったに 違いない。パソコン君は誇りが高いだけに内心悩みは切実だったのだろう。悪い事を言っ てしまったものだ。  「言語が3種類もあって自らをサービス過剰だ。堕落だ。と言っていたけどあれは何だ  ろう。」  「全く気位の高いパソコン君だねえ。プログラミングがやり易いように3種の方法を提  供して、好きな方法を選べるようになっているんだよ。堕落じゃないよ。より使えるよ  うに配慮されているんじゃないか。コンピュータの進歩と考えるべき事だよね。ところ  でおまえは日本語でコンピュータを指令出来る事を大いに誇りにしてくれよ。これこそ  画期的な事なんだ。コンピュータは従来英語で指令するものと相場が決っていた。とこ  ろが、それじゃ英語の分らない日本人には遠い存在だ。ましてやおまえのように日本人  の為の日本語で書く文書を扱うコンピュータにとって、日本語で入力して指令すること  は不可欠の事だ。」  この日の親との会話は充実していた。親子である事がうれしかった。この日はこの後、 とりとめもなく四方山話をして楽しい一時を過した。吾輩には精神的余裕と自信が湧いて 来た。パソコン君もへんなプライドを捨てたらいい。そうすればプログラムに恐れをなし ている人達だって近付いてくる。ゲームの時にはあんなに人だかりが出来るんだもの。吾 輩ともそれぞれの向き不向きで仕事を分担し合って、或時は連帯し、仲よくやっていける だろう。パソコン君も吾輩も同じOAの尖兵隊なんだから。    〔   4   〕   親 指 キ ー ボ ー ド つ い に 誕 生  親はしきりに我がキーボードについて話を聞かせたいらしい。  或日、またまたいつかのの愚問を浴びせてくる。  「おまえは自分のキーボードを見たことがあるかい。」 この質問への答の準備はとうに出来ていたから、  「英文タイプライターと全く同じで、3列30個のキーにアルファベットの代りに平仮名  が2文字づつ適当についているよ。言わば英文タイプライターの日本語版だね。」 我ながら適切な表現が出来たものだと満足して無邪気に答えた。しかしこの吾輩の答は親 を不機嫌にした。顔を曇らせている。吾輩が我がキーボードを称して「英文タイプライタ ーの日本語版」と安易に表現した事がいけなかったらしい。一口に英文タイプライターと 同じといってもこれはたどりついた結果であって、むろん最初からこのキーボードがあっ た訳ではないのだ。この形になる迄の紆余曲折こそ、親が我が子に親として伝承すべき、 苦労に満ちた思い出話だったのである。この日の話を紹介しよう。  もちろん英文タイプライターは最初から大きなヒントではあったという。人間が文章を 作るという作業の段階からその任務を担えるもの、つまり文章を考えながら書く事が出来 るものという考え方を出発点にしていた訳だから、英文タイプライターで小説を書いてい る姿は大いなるヒントを与えてくれた。キーボードを打つ行為はペンや鉛筆で書くと同じ 行為と考えてよいだろう。ただ日本人にはタイプを打つという習慣がないだけの事で、も し英文タイプライターと同じように日本語が打てるとしたら、日本人だって打ちながら文 章を作成していけるだろう。これは確かに大きなヒントであった。  吾輩は聞いた。  「でもね、アルファベットは26文字で済むけれど、日本語はすごい量だよ。50音の他に  濁音や半濁音、ゃ、っなんかの音便文字も数えたら90個近くになるだろう。それに漢字  もあるし。」  「まあ漢字については後まわしにしても、90個は確かに多過ぎる。」  「JISキーボードってのがあるよね。あれは90個もキーはついていないけど4列でこ  じんまりとうまく入れ込んでいるんじゃないの。」  「確かに50音は4列に納まっているけど、濁音や半濁音はどうしてもはみだすから後で  入れる事になる。それに4列では縦巾が広過ぎる上に子指の外側にあたる位置にも文字  が割り振ってあるから指の動きにどうしても無理がある。」 何せ考えながら打つ必要がある。その為には手元をいちいち見ていては思考が妨げられる 。目はあくまで出来上がってゆく文章を読まなくてはならない。つまりブラインドタッチ が出来る事が最低の条件だ。吾輩は名案を思いついた。  「それじゃどうだろう。折角英文タイプライターがあるんだからそっくりそのまま利用  させてもらったら。アルファベットで仮名を打ち込むんだよ。もちろんブラインドタッ  チは出来るし、1分間に50〜80Wは楽に打てる訳だろう。」 しかしこれは不自然だと言う。 「『わたし』と打ちたいとするだろう。アルファベットで入力するとしたら、 『w』 『a』『t』『a』『s』『h』『i』と7文字も打つ事になる。こりゃ面倒だし、我 々日本人はかなが子音と母音で構成されていることを意識して発音したり、書いたりは していないんじゃないかな。日本語の文章を作るには全く不自然だよ。」 なるほど不自然である。すでにあるものを利用しようとするのは、やっぱり虫がよすぎる ということだろう。独自のキーボードが必要だ。親は開発精神に燃えたという。  その一つ一つを聞いてみると、今となっては実に楽しい試行錯誤の繰り返しだ。その中 で吾輩が気に入ったのがピアノの鍵盤の発想である。ピアニストがたくみに両手の指をフ ルに動かしてメロディーを奏でる。この姿に見とれて鍵盤キーボードも実験してみたが、 かなを打つのはピアノをひくのとは大分訳が違うようだ。  或時は全く発想を変えてみた。仮名の数が多いからキーの数も多くなくてはならないと 考えるのを変えてみた。モールス信号というのがある。あれはたった1個のキーでツート ンツートンと叩いて文章を作っている。これを習ってみると意外によく出来ている。訓練 次第で相当の早さも出る。しかし、いかんせん符号による文章の作成である。無理があろ う。  次に思いついたのは円盤である。回転するダイヤルを仮名で選択する。いわゆるダイモ テープ印字器と同じやり方である。案外とりつき易いが速度がどうも遅すぎる。それにそ の昔この方式の英文タイプライターがあったが、現在では全く使われていない。自然淘汰 されたのだろう。  まさしく紆余曲折である。しかし楽しい苦労話である。吾輩もすっかり実験に加わった 気分である。  「ねえ。キーボードじゃなくてさ、何か場所をとらないものも考えられないかな。」 親も膝を乗り出して、  「そうなんだよ。そう思ってね。手袋式も考えてみたよ。両手に手袋をはめて指さえ動  かせばいい訳さ。手袋の指先にコードをつけて、コンピュータに接続しておいて、例え  ば右親指を曲げたら『あ』、親指とくすり指を接触させたら『う』とかさ。」 これを解説する姿はもうまるで漫画である。胸のところで指を動かす姿はごますり男のも み手の風情。膝の上で動かす姿はもじもじのお見合風景。手の場所はどこでもよい訳だか ら、両手をもちあげてもよい。こうなるとまるでインド舞踊かペルシャダンスである。吾 輩はお腹がよじれる程笑いころげた。  「踊りながら文章が作成出来るなんて楽しいよね。『美しい指の動かし方講座』とか、  『インド舞踊式かな入力法』なんて講習会開いたりしてさ。」 親もすぐ悪る乗りする。  「うん、いいねぇ〜。手袋もいろんな色や模様をつけてさ。刺繍とかアップリケとか。」 いやはや大いに脱線してしまった。吾輩のキーボード誕生にはなかなか到達しない。  手袋式のペルシャダンスを見れば一目瞭然だが、人間の10本の指は2本一緒にも自由に 動かせる。これに着目しない手はない。2本の指の同時打鍵の方法は勿論実験された。し かしこの実験で分った事は同じ手の指同士でも親指以外の指の組合せの同時打鍵は大変に 困難で、精神的疲労を伴い運動機能的に無理、という事だった。  そしてこの実験の結果、2本の親指を抜かした8本の指で30個のキーを選択する英文タ イプライターのキーボードは百年の歴史を経ただけのことはあって素晴らしいものである 。そして最も重要な発見は、親指は他の指と全く違った働きがあって他のすべての指と連 動して苦労なく動くという事実の認識であった。やっと我がキーボード誕生に光がさした のである。  英文キーボードを採用し、それに親指をシフト動作に使う。親指なしの場合、右、左の 3つの場合が取れるので、30×3イコール90の選択が出来る。日本語のかなが充分に納ま る!改めてつくづく親指を眺めたという。確かに親指は他の4本の指と離れて独立してつ いている。それなりの機能を担っている筈である。親指が他の指に対向して動くのは哺乳 類でも人間と猿だけである。森の中で枝につかまったり、物を握る必要があった人間と猿 は特別に親指が発達しているのである。こんな分り切った事でもキーボードへの適応に気 がつくまでには長い道程があった。吾輩が安易に英文タイプライターの日本語版と評して 親の機嫌をそこねたが、なるほど決して一朝一夕に出来上がったものではなかったのであ る。  吾輩が『平仮名2文字づつが適当に・・・』と表現したのも迂闊であった。親指の機能 に着目し、指で90の選択が可能である事が分った後は、どのキーにどのかなを配列するか の研究と実験が繰り返された。言語学者に意見を求めてかなの出現頻度、遷移頻度を調べ 、配列を一つ一つ決めていった。3列に全部のかなが収容出来るので、英文タイプライタ ー同様、全くブラインドタッチが可能である。親指との組合せによる右左の指の動きも全 く違和感なく、初期の予想以上に自然な動きをする。10〜15日の練習で殆どの文字が無意 識に打てるようになった。その上アルファベットが必要な場合にはそのまま英文のキーボ ードとして使える。一石二鳥というものだろう。  楽しい苦労話だった。始め吾輩の軽卒な表現に機嫌を損ねた親も語り終えた今では上機 嫌だ。昔の苦労が懐かしいのだろう。吾輩も今日の話を聞いて自覚を深めたように思う。 親指の秘密を秘めた我がキーボード。英文タイプと全く同じようにタイプ出来るわがキー ボードの誕生は、文章を作る段階からその任務を発揮出来る事になった。充分にペンの代 りになり得るものだ。キーボードを打って日本語の文章が出来るようになった。    〔   5   〕   対 話 式 か な 漢 字 変 換  ひらがなの入力については親指シフトキーの発明で全く解決がついた訳だが、日本語に は漢字というやっかいなものがある。この漢字入力についてはいまだキメ手がなく、試行 錯誤が今の日本のコンピュータの現状という。しかし吾輩OASYSの場合はかなを漢字 に変換させるいわゆる『かな漢字変換方式』を採用している。しかもその変換の作業はバ ッチ処理ではなく、入力した人間自身がその場で変換の作業を行う『対話式』をとってい る。  さて、吾輩にしてはいやに難解な専門用語をもち出して気取って語り始めたものだ。し かししばし許して頂きたい。吾輩、自分の何たるかを少しづつ知るにつけ、大分コンピュ ータなるものの知識も得た。吾輩の場合の漢字処理に関しての話は、むろん親から学んだ ことではあるが、ここに『OASYSに於ける漢字入力の考察』と題うって、研究発表の 形でお話させて頂こう。しばしの御静聴をお願いしたいと思う。  「漢字の入力に関しては本来二つの方法がある。  一つは漢字を一文字つづ選んで入力する方式である。和文タイプライターの伝統のあ る我が国ではとかくこの方法を考え易い。  しかし、OASYSの開発にあたっては文章を考えながら入力することが出来る事を 目標としたので、この方式は一切考えなかった。  もう一つがかな漢字変換の方法である。漢字をかなで読み、それを入力して漢字に変 換させる方法である。この方法は漢字を一旦かなにしてそれから漢字にする訳で、面倒 だとか、不自然だとかの感がまぬがれないかもしれない。しかし言葉は話すことから始 まったことを考えても、発音で入力する事は本質的に間違いではないと考えられる。な によりも考えながら入力出来る方法としてこの『かな漢字変換方式』の採用を決めた。 さて、かなを漢字に変換させる方法としては、以前より研究の進んでいるのはバッチ 処理である。これは文章を入力する人はすべてかなで文章を入力し、それをコンピュー タがその内蔵する辞書と文法プログラムで判断して漢字のものは漢字に自動的に変換す る方法である。つまりコンピュータが文章を認識するやり方である。  しかしこの方法はOAの立場で考えた時、不適当と判断してバッチ処理は拒否した。 つまり人間の文章作成の段階を重視する時、漢字まじりの文章がその場で出来ないのは 不自然である。又かなだけの文章は読みずらいし、内容のチェックもしにくい。何より も人間が文章を作成するという知的作業をコンピュータにまかせてしまうという安易な 考えが根本にあるのではないかと疑問に感ずるからである。人間がかなを書き、漢字を 書き、時には辞書をひきながも自らが文章を作ってゆく過程を無視するのは根本的な間 違いである。この方法もあくまで清書作業には使えるが、文書作成作業には使えない。 またバッチ処理ではどうしても完全な自動変換は期待出来ない。どうしてもミスが出る 。そしてそのミスは人間のミスではなくて、あくまでコンピュータのミスである。コン ピュータの変換ミスの修正は自分の書いた文章を修正する作業とはおのずから意味が違 う。無意味な無駄な作業である。又この機械のミスの修正作業にはどうしてもその為の 専門家が必要ともなる。これも考えものである。文章はあくまでも人間が書くもので、 最後まで書いた人に帰属すべきである。判断をコンピュータにまかせるという考え方は 大量の計算処理の場合には有効でも、オフィスでは、ましてや文書作成には安易な考え 方であり、人間の生産性を高める目的からははずれている。  OASYSは以上の見地より対話式を採用した。かなで入力し、欲しい言葉を数個の 同音異義単語の中から、作成者自身が選ぶ方法である。この方式はあくまでも文書作成 者の判断がしかるべき漢字を選ぶのであり、コンピュータに選んでもらうのではない。 この作業はまさしく人間が文章を作成してゆく作業である。『コンピュータは何でも自 動的に出来るもの』というコンピュータの固定観念に捉われて、自分の作る文章を機械 まかせにする人間をオフィスに誕生させる事は反対である。」 如何であろうか。    〔   6   〕   吾 輩 は 男 だ !  お話が少々遅くなった。我が男性たる性の自覚の体験を語らなければならない。今とな っては、改めてお話するもおこがましいような、ごく些細な話ではあるが。  吾輩が生れた当初は見目麗しの白魚の指こそが我がキーボードを奏でるに最もふさわし い光景と妄想していた事は既にお話済みである。親から我が誕生の思想も聞き、男性達が 吾輩を使う訳も充分に理解出来たし、納得した筈であった。しかしどうも妄想が断ちきれ ない。自らの深層心理を探ってみても常に女性の行動を気にしているふしがある。あの女 性は今何の仕事をしているのだろうか。いったい何故にあんなに忙しそうなのだろうか。 はては、お茶を運ぶお盆が重そうだなんて事まで心配している時がある。この我が心理状 態はひょっとして異常なのではないか。これがこうじてはまずい。手遅れにならないうち にきっぱりと妄想を断ち切らねばならぬ。  そんな或日、親がブラリと訪ねて来る。特別の話もないとの事で、世間話をして過すう ちに、又々おはこのキーボードの話になったのだろうか、話題が英文タイプライターの発 明者C.L.ショルツ氏に及んだ。彼はタイプライターの発明によって女性解放の父と仰 がれているという。約百年前の話になるが、当時アメリカでは女性の職場への道は閉され ていた。ところが、ショルツ氏の発明によるタイプライターの出現で女性に仕事の道が開 き、タイプライターは女性達に職場進出の手掛りを作った。この事実は女性の社会進出の 歴史上画期的事件であり、これによってショルツ氏は女性解放の父と尊敬されているとい う。  「ああそうだ。ショルツ氏の写真があったな。」 親はゴソゴソとかばんを探り、中から1枚の写真を取り出して見せてくれる。タイプライ ターを前にして座るあご髭も見事な威厳に満ちたショルツ氏、そして彼の傍には晴々と喜 びに満ちた顔の女性達の列!この写真を見た瞬間である。吾輩の体にショルツ氏への強烈 なライバル意識が稲妻の衝撃のごとくに走り抜けた。  「負けてたまるか。吾輩だって。吾輩だって。ショルツに負けるものか。」 と、ショルツ氏への競争意識がメラメラと燃え上がった。頭の中には今まで親から聞いて 来た言葉の断片が次々と閃光の如くに去来する。 「本来の知的作業」「単純労働者」「オフィスの皆が」「便利さだけの追求」「人間をコ ンピュータの一部にしてはならない」「やりがい」「プロ意識」「ブラインドタッチ」・ ・・  親はショルツ氏の写真が吾輩を興奮させた事に思い当るものの、吾輩のこの興奮ぶりが 解せずに心配顔である。その心配顔に吾輩は大声で口走った。否、宣言した。  「吾輩は女性の味方だ!いや、女性の解放者だ!そうだ、吾輩は80年代の女性解放の父  だ!」 と。親はあっけに取られて目をパチクリさせている。  確かにショルツ氏はタイプライターの発明によって女性に仕事の場を与えて、女性の社 会進出の基を作った。しかしそれから百年、女性の社会進出はもはや常識となった。女性 の自立の、キャリアウーマンの、と働く女性の話題にも事欠かない。それに吾輩の誕生は ショルツ氏の場合と違って専門のオペレータも必要とせず、誰もが使えるのであるから特 別に女性に仕事を提供するものでもない。しかし吾輩とてショルツ氏に負けてはいない。  今の女性達のオフィスでの仕事の質はいったいどんなものだろうか。雑用といわれる単 純作業が大方だろう。いわゆる「お茶くみ」から、コピー作業、おつかい、男性の作成し た文書の単なる書き写し。等々。しかしいつまでもこの状態で良いのだろうかとの疑問は 女性自身の中からはもちろん、会社の経営に女性戦力の活用を真剣に考える経営者層から も出ているのは今の確実な社会状況である。そして一方、今コンピュータがオフィスに入 ろうとしている。オフィスが変ろうとしている。仕事の質や分担もおのずと変化してゆく だろう。しかしこの時、従来の女性の仕事にもその本質に影響を与えてゆかなくては女性 はこれからもずっとオフィスの雑用係のままである。悪くするとコンピュータの導入がか えって女性の単純作業に加速度をつける危険性さえある。  「簡単だ。それでは女性に。」 の図式である。しかし吾輩は違う。  「簡単だ。だから男性も。」 である。もし吾輩が考えながら打つ事が出来ないペンタッチ方式だったり、ブラインドタ ッチが出来ない使いずらいキーボードだったらどうだろう。吾輩は即座に女性に押しつけ られていただろう。これでは女性の仕事の質には何ら変化を与え得ない。男性が自らOA SYSで文書を清書の段階まで分担して行う。少なくともここで女性は清書作業という単 純労働から解放される筈だ。そして、OASYSを使う女性はいずれ文書を作成する段階 から仕事を担っていける手掛りを吾輩は与えているのではないだろうか。親ははからずも  「オフィスの皆が雑用から解放されて本来の知的労働を謳歌出来る為の・・・」 と話してくれた筈だ。 吾輩はショルツ氏の場合とは生れた時代も社会状況も違う。しかし、吾輩だって80年代 の今だからこそ必要な仕事の質の問題において、女性の解放者たる資格が充分にあるので はないか。吾輩が意識下で潜在的に白魚の指にあこがれ、いつも女性の動向を気にしてい たのも、この吾輩の「女性解放の父」たる無意識の責任感がなせる業であったに違いない 。そして、その責任感がショルツ氏の写真にライバル意識として触発されて、やっと意識 化出来たのだと思う。  興奮も大分おさまって来た吾輩は今度はしみじみと独言をつぶやく。  「ああ、やっぱり吾輩は男なんだなあ。女性の仕事の事にこんなに気を配り、女性の幸  せを願い、いつも女性を守ってあげたい、助けてあげたいと思い続けて来たんだ。これ  は何もいかがわしい危険な妄想じゃなかったんだ。男なら当然の事だったんだ。」  親は吾輩の興奮ぶりはもとより、ショルツ氏のむこうをはった「女性解放の父」宣言に は大分面食らったらしいが、そこは常に冷静で理論家の親である。こんな事を言う。しか しその顔つきはいかにも吾輩をからかっている。  「おまえの興奮しやすい性格は今に始まった事ではないが、どうも独善的理論に陥りや  すいのは困ったことだね。まずね女性解放の父というならそれはおまえじゃないよ。私  だよ。そうだろう?それにね、なぜ女性の解放者が男でなくてはならないのかい?」  何とでも言ってくれ。吾輩は80年代の女性解放の父である。そして常に女性の幸せをこ い願う心やさしい男性である。    〔   7   〕   初 め て の 海 外 旅 行  吾輩これでも海外旅行の経験がある。海外出張するビジネスマンは増えるばかりだし、 海外旅行も今や高嶺の花とは言えなくなった。吾輩とて外国なるところに行ってみたい。 などと夢みていた折も折、チャンスが訪れた。中国大陸は北京、上海、天津を廻る日本生 産性本部の客船による10日間の中国視察旅行である。吾輩の任務は乗船の視察団の方々に 自らをおひろめし、且つ船旅の間おおいに利用頂く事だという。夢に見た海外旅行だ。吾 輩は期待に胸ををふくらませ、意気揚々と出帆した。  一度は日本を離れてみるものだとは良く聞くところだが、全くだ。吾輩もこの初めての 海外旅行では日本では出来ない貴重な体験をすることとなる。  船旅は快適だった。吾輩が席を占めたメインロビーは、いつもなごやかな歓談の風景に 溢れ、視察団員同士の貴重な情報交換の様子も見られた。落ち着いた船旅の良さというも のだろう。おかげ様で吾輩もゆったりとした気分で旅のお仲間に加わりつつ、初期の任務 を遂行することが出来た。まずは我が仕事ぶりから報告させて頂こう。  この船旅で特に有難かったのは、団員の方々に我がキーボードはもとより、ディスプレ イ(画面)にも関心を向けて頂く充分な時間が持てたことである。実際のところ我がキー ボードはその特異性ゆえ常に人目を引き人の口にも上るが、見た目に何のへんてつもない その平凡さゆえか、ディスプレイは案外目立たないでいる。けれどもこのディスプレイと てキーボードにも負けずとも劣らない独自性を秘めている。  まず第一に皆さんの共感を得たのはキーボードがペンや鉛筆の代りなら、我がディスプ レイは白紙或いはノートのイメージそのものである事だろう。普段オフィスで文章を書く 時、手元にレポート用紙やノートを用意するのは全くあたりまえの事でもディスプレイに なってしまうと、どうも様子が違って来る場合が多い。例えば小さな紙切を一枚づづ渡し て、一枚に二〜三行書く度に取り上げてゆくようなディスプレイである。つまり画面が極 端に小さかったり、画面それ自体は大きくても実際に文章を作成する部分がコンピュータ の命令表示のスペースに邪魔されて狭かったり、はては一画面が書き終る毎にそのページ が完結してしまったりするのである。これでは文章は書きずらい。人間が文章を書く時は 頭で考えながら、且つ目で見ながら書いてゆくのではないだろうか。さっきどんな言葉使 いで何の事を書いたのか、ちょっと読み直してみたい。或いはこの部分は少し右に寄せて 書きたいが、どの程度ずらそうか。棒グラフを書こうと思うが、長さをどうしようか。つ まり常に読みかえしたり、全体のバランスを気にしたりして書いてゆくのが文書作成の過 程であろう。原稿がすっかり出来上がっている文章を清書するなら数枚の小さな紙切れに も予定を立てて書くことも可能であろうが、何せ吾輩の場合は考えながら文章を作成して ゆく使命を担っているディスプレイである。ノートの1ページの全体が見渡せる如くにデ ィスプレイの文章もその全体が見えるのは最低の条件である。従って吾輩の画面のおおき さは、最も一般的な文章に必要と思われるA4判に入る文章全部が一画面で見渡せるおお きさである。前に書いた文章は直ぐその場で読み返せるし、自分が今一枚の紙のどの辺の 文字を書いているかが掴める。全体のバランスも一目瞭然に分る。むろん1ページで済ま ない文章はノートの次ページをめくる如くに何ページもつながって画面に登場する。グラ フや表も書いたそのままの形で見えるので、実際に形を見ながら、どんな風に書こうかな と全体を見て考えながら書ける。その上、吾輩のディスプレイにはああせいこうせいと書 き方も指令するものは一切登場しない。書き方はペンの代りのキーボードが一切を引き受 ける。ディスプレイには全く一枚の白紙、あるいはノートがあるだけである。  「機械に向かって書いている感じが全くしない。」  「コンピュータに命令されて文を書く感じがない。」 とは、皆さんの感想である。全くその通りだろう。  次に共感を呼んだのは、一度書いて記憶させた文章がこのディスプレイで再びその全体 が見える事である。いちいち印刷しなければ書いた物の実態が分らないのとは訳が違う。 ノートをめくって前に書いたものを見直すと全く同じように、以前書いた文章がディスプ レイに表示される。これからのペーパーレス時代には不可欠の要件である事を大いにアピ ールしたようだ。  さて、我ながらつつがない仕事ぶりの報告はこの位にして、話題を旅に変えよう。とに かく吾輩には目にするものすべてが新鮮であり、驚きであった。かくも広い空。はてしな く尽きることなく続く大地。のびやかに天に迄連なる山々。そして英雄のごとくにゆるぎ なく横たわる大河楊子江。すべてが巨大だった。いったいこの大きさは何だろう。この広 さは。そして行き交う人々のこの素朴でおおらかな風情をいったい吾輩今まで見た事があ っただろうか。吾輩は全身のありったけを延ばして、深い深い深呼吸をした。この大きさ とおおらかさを吸い込んで自分のものにしてみたかった。自らがあまりにちっぽけに思え た。我が存在などこの大きな自然の前で、そしてこの人達の純粋な希望に輝く瞳の前には 無用の長物ではないか。便利に、す早く、合理的に手際よく・・・一体それがどうした。 どんな意味があるというのだろう。おのれ自身への充分なプライドもここにあっては大し た意味もない。吾輩は初めて自分自身の存在に疑問を感じていた。  船のロビーは日ごとになごやかさを増していった。帰国の途についた或日、いつにも増 して中央のテーブルが人だかりである。  「いやぁ、実にめずらしい。宋時代のものでしょうか。」  「いや齋時代の北派のものでしょう。筆法が闊達ですからねぇ。」  「なる程。威厳がある。見事だ!」 口々に簡単の声をあげながら或人は眼鏡を取り出し、或人は目を皿のようにして何やら見 入っている。気になって眺めると、だれかが手に入れた掛軸と拓本というものを披露して いるところである。また賞讃の声が聞える。  「すばらしい!この筆の延びを見てください。島国の我々にはこの延びは真似出来ませ  んよ。」  「全くです。起筆にも個性が光っていますねぇ。」 話は益々熱気を帯びてくる。なる程墨の色も黒々と堂々たる掛軸が見える。拓本は由緒あ る墓碑銘らしい。  吾輩は人だかりから離れてポツンと一人ぼっちである。何やらみじめな気分が吾輩を襲 った。同じ文字を書く身分でありながら、いったい吾輩にはあの風格や威厳が持ち得るだ ろうか。24ドット?レーザープリンター?多彩な印刷?その程度の事じゃないか。個性? そうだ書く人の個性さえもありはしない。フロッピイによる文書の永久保存?あんな大昔 のものが今立派に人々を感動させているではないか。中国の巨大なる空間の前に自らの小 ささを思い知った矢先である。又もや手出しの出来ないものが現れたものだ。初めて感じ た言いようのない劣等感だった。  吾輩は静かな海のうねりを感じながら、一人水平線のかなたを眺めやった。海は果てし なく、やさしく続いていた。 世の中には大きな自然がある。人間の築いた長い歴史とその偉大な文化がある。吾輩の 出番など全くない場所が歴然とあるんだ。  「そうだ、吾輩なんて、たかがワードプロセッサーじゃないか。」 ひょっとして吾輩は今まで自分は何でも出来ると思い込んでいたのではないだろうか。そ れもオフィスという限られた空間しか知りもしないで。こんなあたりまえの事をどうして 今まで考えたことがなかったのだろう。目からうろこが落ちる思いだった。決して卑屈に 自らを卑下したのではない。開眼だった。初めて感じた劣等感は静かに大海の波間に吸い 込まれていった。  吾輩は出発の時の意気揚々の様子とは違った落ち着いた『ゆとり』を身につけていた。 出迎えてくれた親は言った。  「『たかがワードプロセッサーだ』とはずいぶん謙虚になったもんだ。たまにはオフィ  スから離れて自然と対して自らを見つめる時間を持つことは大切だね。確かに自分を取  り巻く狭い環境の中でしか物事を考えられなくなってはおしまいだろう。いい旅をして  よかった。」 吾輩は黙ってうなずいた。  「おまえには確かに出しゃばれない場所がある。でも、おまえだからこそ担えるものだ  ってある筈だ。そしていづれはそれが人間の文化や伝統を築いて行くようにもなるだろ  うな。楽しみだな。」  「そうだね。あの掛軸や拓本と一緒にね。」  「これからはどんどん外国に出かけたらいい。きっと沢山の在留邦人の人々が、お前を  今や遅しと待っていると思うよ。今のおまえのその謙虚さがあったらもうどこに行って  も大丈夫だろう。」  吾輩の胸はもう未だ見ぬ海の向うの国々へ、期待と夢にふくらんでいる。    〔   8   〕   あ あ 、 胃 が 痛 む  いわゆる展示会とかショーとかいったたぐいの場所に出かけることは多い。吾輩、おか げ様でその会場では中央部に場所を占めさせて頂き、人気は抜群である。このような晴れ の舞台でも、最近の吾輩は幼かった頃と違っておのが人気に気を良くして自らを誇示する だけというようなことはなくなった。場馴れした事もあろうが、会場を訪れる人々にも目 を向けて、彼等を逆に観察する余裕も出て来ている。まずは入場者数が大いに気になり、 数えてみたりもした。回数をかさねる度に入場者の数が確実に増えているのはうれしい事 だ。そしてこのごろでは入場者層に興味を向けている。  OAに関心と問題意識を持ち、また会社のOA化の責務を担う中堅管理職層がおおかた であろうか。見識もあり、大変に熱心である。現場のサラリーマンやOLも勿論多い。予 備知識は充分だし、吾輩を試みる事が楽しくてたまらないといった風情である。自由業、 それも文筆にたずさわる人、医者、弁護士といった職種の人々は本来慎重な体質なのだろ うか、じっくり腰をすえて吾輩を研究せんとの姿勢である。そして印刷関係者、ダイレク トメール業者、速記業者、特許事務所等の人々には吾輩の必要が逼迫しているのだろう、 その目付きは真剣そのものである。若い学生達が仲間同志でやって来る姿も大分多くなっ た。子供連れの主婦の姿もボツボツ見え始めているのはたのもしい限りである。日増しに 来場者の層は広く多岐にわたってきている。  会社のいわゆる重役クラスの方々の来場もかなりの数にのぼる。経営者層のOAに対る 並々ならぬ関心がうかがわれるというものだろう。会社のトップの方々がみずから展示会 に出かけて勉強しようとする姿勢は大いによろこばしい事だ。ただこの方々の中にはまれ にではあるが、こんな方もいらっしゃる。  彼は「特別御招待者」のリボンを胸にかざってり、数人のお伴をひき連れてお出ましに なる。そして往々にして  「ほお、なるほど便利だ。実によく出来ている。フムフム。」 と腕組みしてうなずく事数回。決して吾輩を試してみることもなく、通り一ぺんの説明を 聞くや  「是非一台。」 と注文を御下命の上、そこそこにひきあげる。そしてこの「是非一台。」の一言が、我が 徒労と消耗の物語の始まりとなるケースがいかにも多いのである。  この種のおえら方はさっそくこの一台を秘書嬢にあてがう。  「さあ今日からまたたく間に手紙が出来るぞ!」 とおお張り切りである。もちろん自分自身がOASYSを使ってみようとは一切考えない。  「ほお、もうそんなに早く打てるようになったか。覚えが早いな。」 と秘書嬢をほめ上げる。  「ああ、それじゃ、あの書きかけ原稿もOASYSにしてくれるか。どうせ後で手直し  する原稿だ。」 と不完全原稿をドッサリと渡す。ここを直せ、あの文を入れ変えよ、と大さわぎの末、  「おお出来上がったか。なる程便利だ。」 と感嘆することしきり。もうOASYSのとりこである。あれもこれもと文書を持ち出し 、OASYS熱はいよいよエスカレートしてゆく。  「我が社ではおおいにOA化を進めておりましてね。OASYSを導入しましたよ。実  に便利になりました。外注がなくなりましたから、コスト削減にもなりました。なに、  その書類、タイプ業者にお出しになる。そんな無駄な、どうか私にお任せ下さい。私の  秘書にOASYSでやらせましょう。」 得意先へのOASYSサービスまでも引き受けてくる。 「まだ出来ない? OASYSがそんな遅い筈がないだろう。大事な御客様がお待ちな んだよ。」 と、出来上がりを待ちかねて吾輩の回りをウロウロ歩きまわって秘書嬢をせかす。あげく のはては自宅から私用まで抱えて来るようになる。  「女房の女学校の同窓会名簿、OASYSで作ってくれないか。」 ここまで来ると、この秘書嬢が  「OASYSなんて見るのもいやよ。」 と吾輩を憎むようになるのは時間の問題となる。彼女は吾輩と共に便利屋になり下がり、 吾輩のおかげで本来の仕事とはおよそ関係のない文書までがしかも大量に殺到し、OAS YSに忙殺される日が続く。目はかすみ、指には痛みが走る。『ああ野麦峠』も顔負けで ある。  吾輩はこのケースが何と云っても胃にこたえる。こんな場合は吾輩がいかにフル回転し て働こうと、ただ後に残るのは徒労の為のやりどころのない疲労感と消耗感である。確か に会社のトップにある方々は秘書嬢にレターや原稿の清書をOASYSでさせるのは結構 である。その権利もある。OASYSも今や秘書の常識だ。しかし秘書嬢がOASYSを 使う本来の目的は又別にある筈である。これではただ秘書嬢を介して吾輩を私物化してい るだけのことであって、吾輩のオフィスにおける本来の活躍からは程遠い。OAのブーム に乗って展示会を物見遊山気分で見学し、流行の装飾品を買うが如くに吾輩を買い求め、 おのが自身の便利さばかりをむさぼっているのである。こういう使い方をする人はおよそ OAを語る資格がない。全くふとどきである。吾輩としては我が便利さ故の不徳のいたす ところであると、一目散に逃げ帰りたい思いにかられる。どうしたらこの秘書嬢を助けら れようか。女性解放の父だ、女性の味方だ等と豪語した吾輩は、穴があったら入りたい。  親の分析によれば、  「おまえのせいではない。そのおえら方が本来、自分の都合さえよければ便利な機械も  使うし、人間だって便利に使えればそれでよいとする人なんだ。使う人間の側の認識と  配慮が最も欠如している例だ。」 となぐさめてくれる。経営姿勢の問題であり、OA以前の問題であると言う。しかし、今 の現状ではこんな例も決してすくなくはない。これも未だ混沌のOA世界のいわば創世紀 にあるのだからやむを得ない側面であるという。しかし、  「なるほど便利だ。是非一台。」 と腕組みして吾輩をただながめては立ち去るおえら方を見る度にこのケースが思い出され て、いやな予感を禁じえない。  話のついでだが、胃が痛む状況は他にもある。何十人に吾輩がたった一台という場合が 往々にしてこの場合である。この場合は吾輩をめぐって奪い合いが起きる。使いたい時に あいていない。折角記憶させた文章が今見たいのに使えない。  「OASYSって不便だわ。」 となる。その上一人が使う時間が制約されるから、我が機能をフルに活用しないで、折角 とり揃えている各種の機能も手つかずに眠ったままとなる。キーボードの配列もなかなか マスターしない。吾輩を使いこなさないまま食わず嫌いがこうじる。  「OASYSって面倒だ。」 に発展する。吾輩としてはまたもや胃が痛むことになる。  「なぜこのキーを使ってくれないんだ。なぜこの機能を試してくれないんだ。あと一息  でブラインドタッチが出来るのに。」 まさしく消化不良の症状である。確かにたった一台の吾輩ではじっくりと使ってみるゆと りがないだろう。しかし吾輩としては本領発揮出来ずのまま  「不便だ。面倒だ。」 と悪口されてはたまらない。  親は吾輩のこの消化不良の症状は台数の増加で直ぐに解決するとの処方箋を与えて、悠 然と構えて揺ぎない。台数が増えるまでの単純な時間の問題だという。  展示会での来場者のスケッチが思わぬ方向に発展してしまった。でもせっかくの展示会 だ。一人でも多くの人に見て頂いて、一日も早く本来の活躍をさせて頂きたいと御来場の 一人一人に祈る気持にもなる。OAブーム、ワードプロセッサー導入の機運こそあれ、そ の認識のされ方はまだ未熟である。受け入れ体勢も整ってはいない。台数の普及もまだま だである。吾輩は未だ混沌の世界にいる。しかし一日も早く我が会心の活躍がしたいもの だ。これも時間の問題ではあろう。変にあせったりりきんだりして胃潰瘍になってしまっ ては元も子もない。せいては事をし損ずるとも言う。少し気長に構えていこうとは今の我 が心境ではある。    〔   9   〕   『 O A S Y S 』 S F ス ト ー リ  ー  吾輩を乗せた超音速ジェットは今まさに羽田空港を離陸、空路千歳空港に向かわんとし ている。Y氏は在札幌の某大手企業との間に展開中の重要商談に最後の布石を行うべく、 この朝一便に乗り込んでいる。吾輩はY氏の膝の上である。晴れ渡った空に点々と浮ぶ雲 は朝の陽光を白く反射してY氏の目にまぶしい。このところ連続しているオーバーワーク と昨晩の睡眠不足が少し気になる。Y氏は膝に乗せたOASYSケースから、コードを引 き出し、座席脇のコンセントに差し込む。ケースの蓋をあけて、カードフロッピィをセッ トする。蓋の内側に仕組まれているディスプレイには今日これから面会する要人に提供す べき資料が写し出される。Y氏は入念にその一つ一つを点検する。昨晩同僚の誘いを断り きれずに立ち寄った酒場でフト思いついたアイデアをどうしてもこの資料の中に組み入れ たい。このアイデアこそこの商談をものにする決め手になる筈だと、長年の間に培われた Y氏のセールスマンとしての動物的感が働くのである。しかし、このアイデアの組み入れ 方をうまくしなければならない。アイデアは思いついたその酒場で即座にポケットOAS YSにメモ的に打ち込んでおいた。Y氏はこのポケットOASYSのマイクロフロッピィ を取り出して差し込む。キーボードを叩いてそのメモを土台に資料用の文章に作り直す。 準備しておいた資料に組み入れ、前後を少し手直しする。これでいいだろう。これなら万 全だ。  ジェットは既に津軽海峡上空である。  「そうだ、千歳からはレンタカーを借りよう。」 リムジンやモノレールは乗り継ぎに面倒だ。フロッピイを抜き、電話キーを押す。『千歳 レンタカー』の電話番号を打ち込む。まもなくしてディスプレイには  「毎度御利用頂きましてありがとうございます。必要事項をおしらせください。」 と表示される。『グリーンレンタカー』を頼むと受付嬢がにっこり微笑んであいさつする サービスがあるが、実用本位の『千歳レンタカー』ではそこまでのサービスはしていない 。しかし安いのが何よりだ。ディスプレイには、行き先、使用時間、車種を指定するよう にと表示が出る。Y氏はキーボードに指を走らせて、それぞれに回答する。  「最後に運転免許カードを御提示ください。」 Y氏は免許カードを差し込む。やや暫くあって、  「確認いたしました。」  Y氏は千歳空港に降りたつと、首尾よく用意されたレンタカーで要人との約束場所に向 かった。  面談を済ませて帰途にあるY氏は、途中ドライブインに駆け込む。一刻も早く今の面会 の結果を本社の担当役員に報告して指示を仰ぎたい。昨晩のアイデアは予想通りの手ごた えだ。しかしいま一押しの作戦の練り直しが必要だ。気が変る時間を与えてはまずい。ぐ ずぐずして機を逸しては折角のアイデアも棒に振ることになる。Y氏はあいたブース席を 見つけるなり、早速OASYSケースをテーブルに広げて本社の担当役員秘書、I嬢を呼 び出す。役員への至急の面会を依頼する。ディスプレイのI嬢はいつもながらてきぱきと 応対する。役員はあいにく海外出張中で、今の時間は現地でパーティーの最中であるとい う。しかし1時間後にはホテルに戻る予定であるからその時点で面会の意向を伝えて確認 するとの返答である。I嬢はにこやかに続ける。  「それでは、今日の会談の報告レポート、その他必要と思われる情報があれば、一旦私  までOASYS通信してください。ホテルの役員へはアポイント依頼と共に私の方から  送らせて頂きましょう。よろいしでしょうか。」  「OK。ともかく1時間以内には営業所に戻って待機しよう。レポートもすぐ送る。よ  ろしく頼む。」 Y氏はカードフロッピィをセットし、早速今済ませた面会の結果報告、問題点、対策案を まとめるべくキーボードに向かう。昨晩のアイデアは、むろん役員に了解を得ていない。 このアイデアについても役員を説得出来るようなレポートが必要だ。文章にはやはりいつ も頭を悩ます。ドライブインにあまり長居するのも失礼というものだろう。頼んだコーヒ ーも冷えてしまっている。I嬢へのOASYS通信は車の中からするとしよう。  営業所に待機するY氏にI嬢から返答が入る。ホテルに戻った役員はY氏のレポート報 告に緊急会議召集の指示を出したとの事。この商談プロジェクトにたずさわる各部門の責 任者を至急集めて、Y氏のアイデアを踏まえての作戦会議である。そしてその結果は社長 決裁を受けた上で行動を開始せよとの意向である。I嬢は告げる。  「15分後に会議を始めたいと思いますので御用意願います。実は開発部長が今リニアカ  ーで移動中で、あいにくポケットOASYSしか携帯しておりません。御自分の席に戻  るまでに約15分かかるのです。それに企画部長は顧客先から本社に向かう車中になりま  すので、若干、画面や音声に不明瞭な点が出るかもしれませんが、お含み下さい。他の  出席者も15分後には会議の態勢に入れます。先程お送り頂いたレポートは、各出席者に  OASYS通信済みです。それからおそれいりますが、役員は現地時間で夜も遅い時間  です。明日のスケジュールもハードです。会議は早めに切り上げたいと思いますので、  御協力をお願いします。」  15分後、各出席者はそれぞれの場所でOASYS会議に臨む。この会議のドキュメント 作りは、デクテーションが得意のI嬢に頼むこととする。まず担当役員から発言が出る。 ディスプレイに写し出される役員の顔には時差による疲れも見えない。Y氏は少しくホッ とする。各部門から活発な発言が出される。それぞれの発言はI嬢のデクテーションによ ってディスプレイの下の部分に即座に文章にされてゆく。開発部長からの発言はメインコ ンピュータに演算させながらの具体的なデータの表示が多い。企画部長はいつもながらマ ネージメント理論に基づいたするどい意見を出す。会議の途中でI嬢からサジェッション が入った。  「数字やテクニカルタームについては、ミスがあってはいけませんので、発言者御自身  で入力をお願いします。」  「了解。」 会議の様子では、Y氏のアイデアは各部門のアイデアを誘発し、さらに強力に肉付けされ ていくようである。会議は約10分で終了した。予想以上の成果である。I嬢はさっそくデ クテーションによって作成した議事録を編集してドキュメント作成の作業にとりかかる。 出来上がったドキュメントをY氏のOASYSディスプレイに通信して了解を求める。 「これでよろしいでしょうか。よろしければ早速社長にお目にかけて決裁を仰ぎますが 。その結果はまた報告致します。」 さすがI嬢である。ドキュメントは要を得て簡潔にまとめられている。多忙な社長に一見 して理解が得られるような配慮が充分に行き届いている。社長から「GO」の決裁が下り たとのI嬢の報告が入るまでの時間はY氏には長かった。早速要人への再面会を申し入れ る。明朝10時半の約束がとれる。あと一押しだ。  羽田に向かうジェットのシートに深く腰をおろしたY氏は、ゆっくりと煙草に火をつけ る。一つの仕事をなし終えた充実感と安堵感で煙草がおいしい。今夜は早く家に帰れるだ ろう。Y氏はふと思い出してOASYSケースを開く。出張の朝、夫人から着替えと一緒 に渡されたカードフロッピィがあった筈だ。ディスプレイに見入るY氏の顔が思わずほこ ろぶ。 「×月×日 庭に黄色い花が咲きました。花の名前が分りません。パパ植物辞典を買っ てください。」 「×月×日 『三銃士』読み終りました。」 「×月×日 今晩は天丼の出前をとりました。ママはパパがいないので料理をするのが 面倒だと言います。パパが一緒に食事をしないとおいしいごちそうが食べられません。」 このところ帰宅時間の遅い日の続いたY氏への坊やからのメッセージである。そうだ今夜 は息子とゆっくり語り合おう。  眼下には奥羽山脈が柔らかな午後の陽にぼんやりかすんでいる。ケースを脇に収めたY 氏はしずかに瞼をとじる。到着までのひととき、吾輩もY氏と共にしばしまどろんだ。                              「終り」