随筆 ワープロと漢字 これは大修館の漢字百話 虫むし事典に書いた随筆です。 ワープロと漢字  漢字は永い間いろいろな迫害を越えて生き残ってきた。つい最近のワープロの出現は 漢字の将来とっては明るいニュースである。  アルファベットはメソポタミヤの楔形文字からきている。楔形文字も最初は漢字のよ うな象形文字であったが、粘土にへらで書くものだから画数の多い文字を書くのは問題 が多く、時代が下るに従って、漢字からカナが生じたように、表音文字が生まれ、つい に表音文字のみが残ったのである。これに比べて中国の漢字は紙と筆というテクノロジ を使うことによって生き永らえてきた。  しかし、二〇世紀になってまた危機が訪れてきた。産業革命によるテクノロジの進歩 により、アルファベットはタイプライタで書くことができ、コンピュータで扱うことが できるようになった。このためアルファベットは紙の上に書かれた文字とは全然違った 働きをもつようになってきた。  日本では明治時代から漢字の廃止運動の歴史がある。昭和三〇年代のカナ文字論の台 頭がそうであるし、四〇年代のコンピュータのカナによる運用などがそうである。コン ピュータには漢字がのらないから、日本でコンピュータを使うためにはカナを使おうと いうわけで、このような動きは着々と進んでいたのである。大型コンピュータはもちろ んのこと、事務の合理化のために導入されるオフイスコンピュータもカナで運用されて いた。  現在でも電報はカナでしか打てないのにそれで当然だとわれわれは思っている。この ように実は漢字が機械の都合で排除されてきているのである。  コンピュータの便利さか、漢字の表現力の豊かさの二者択一を迫られれば、やむなく コンピュータの便利さを選ぶ以外にはなかったろううし、この傾向が続けば、成人式に しか着物を着ないように、漢字は正月にだけ使うめでたい飾り文字になっていたかも知 れない。お琴の音を聞くと、正月気分になる我々はこれを突飛な発想だと笑うことは出 来ないのである。  文字には入力することと表現することとの二つの側面がある。漢字は筆で書かれて、 紙の上に墨の濃淡となって残り、人間が読む。  コンピュータの時代になって、アルファベットの技術の延長で漢字をプリンタで印刷 したり、テレビ画面に表示したりすることはさほど困難なことではなかった。しかしア ルファベットに比べて、数千種類もある漢字を入力するのは大変であった。  日本では漢字を表意文字として使っており、良く言って融通性に富む、悪く言うとで たらめな使い方をしているために入力するのには従来まではよい方法がなかった。  工夫の結果生みだされたのが、カナ漢字変換という手法で、日本語を表音記号である カナで打ってゆき、それをコンピュータの辞書を使って結果としてカナ漢字まじり文に 作りあげて行く方法である。また、アルファベットよりも数が多いカナの入力のために それに適した親指シフトキーボードも開発されるに及んで、日本人にもアメリカ人と同 じような使い勝手のタイプライタが手に入るようになったのである。  日本の良き伝統である着物やお琴は儀式にしか残り得ないのは寂しいけれども、幸い 漢字を使うという文化はワープロという技術の確立で生き延びて、漢字の表現力の豊か さをコンピュータの上で謳歌して、さらには日本以外の国々へも伝播してゆくことであ ろう。                            神田 泰典